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マッテオ・フェラーリ(Matteo Ferrari, 1979年12月5日 - )は、アルジェリア・(アフルー)出身のイタリアの元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
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モントリオール・インパクトでのフェラーリ (2013年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Matteo FERRARI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア アルジェリア ギニア | |||||
生年月日 | 1979年12月5日(43歳) | |||||
出身地 | アルジェリア (アフルー) | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1996 | SPAL | |||||
1996-1997 | インテル・ミラノ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-2001 | インテル・ミラノ | 19 | (0) | |||
1997-1998 | → ジェノア (loan) | 3 | (0) | |||
1998-1999 | → レッチェ (loan) | 8 | (0) | |||
1999-2000 | → バーリ (loan) | 26 | (0) | |||
2001-2004 | パルマ | 81 | (3) | |||
2004-2008 | ローマ | 78 | (2) | |||
2005-2006 | → エヴァートン (loan) | 8 | (0) | |||
2008-2010 | ジェノア | 33 | (0) | |||
2009-2011 | ベシクタシュ | 46 | (0) | |||
2012-2014 | モントリオール・インパクト | 81 | (1) | |||
代表歴2 | ||||||
1999-2002 | イタリア U-21 | 27 | (3) | |||
2000-2004 | イタリア オリンピック | 7 | (0) | |||
2002-2004 | イタリア | 11 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年9月21日現在。 2. 2004年3月30日現在。 (■テンプレート)((■ノート) ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
クラブ
1996年にインテル・ミラノに引き抜かれ、ジェノアCFC、USレッチェ、ASバーリなどへレンタル移籍を繰り返した。2001-02シーズンに移籍したパルマACでは安定したパフォーマンスを見せ、チェーザレ・プランデッリ監督の下でチームの守備陣の中核となった。
2004年にASローマへ移籍。守備陣の中核に期待されるが、不振に陥り、2005-2006シーズンにはイングランドのエヴァートンFCにレンタルとなる。その後ローマに帰還したが、ルチアーノ・スパレッティ監督の下ではクリスティアン・キヴ、フィリップ・メクセス、フアン等の控えとしての扱いが続き、代表からも遠ざかった。
ローマとの契約が満了したため、2008年8月6日に古豪復活を目指すジェノアCFCへ移籍。ここではジャン・ピエロ・ガスペリーニ監督の下で守備陣の柱として復活。ジュゼッペ・ビアーヴァ、サルヴァトーレ・ボッケッティ、ドメニコ・クリシート等と強力なDFラインを形成した。
2009年7月7日、移籍金600万ユーロの4年契約でトルコのベシクタシュに移籍した。
代表
イタリア・ギニア・アルジェリアの3か国を所持していたため、いずれかの代表を選択する必要があった。1997年よりイタリア代表を選択し、2002年からはA代表にも選出され、11試合に出場した。EURO2004に参加する代表メンバーにも選出されたものの、代表での最後の出場は2004年5月30日のチュニジア戦のため、EURO2004の本大会には出場していない。五輪代表メンバーとして、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック(オーバーエイジ枠として出場)にも出場。