ボーン川の戦い (フリジア語: Slach oan de Boarn オランダ語: Slag aan de Boorne) は、734年に現在のオランダ・フリースラントの(ボーン川)河口付近で行われた、フランク王国とフリースラント王国の戦い。
概要
両国は7世紀以降、度々小競り合いを続けてきた(フリースラント・フランク戦争)。宮宰カール・マルテルに率いられたフランク軍は734年にフリースラントに侵入し、ボーン川沿いに進軍してその三角州(ミドルゼー)に到達した。
ポッポ率いるフリースラント軍はボートで岸に上陸し奇襲をかけたが、戦闘の末にフランク軍が勝利し、ポッポは戦死した。[1] フリースラント王国を滅ぼしたフランク王国はラウエルス川以西のフリースラント(西フリースラント)を支配下に置き、この地域のフリース人はフランク王国に従属した。一方フランクの支配をいったん免れた東フリースラントの部族は、ドイツ領となった現在に至るまで西フリースラントと分かれることとなった。
脚注
- ^ “”. Boudicca.de. 2009年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月22日閲覧。
参考文献
- (Fredegarius), Liber Historiae Francorum