ペンスキー・PC3(Penske PC3)は、ペンスキーが開発・製作したフォーミュラ1カーである。デザイナーは(ジェフ・フェリス)。
PC3(モントランブラン、2009年) | |
カテゴリー | F1 |
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コンストラクター | ペンスキー |
デザイナー | (ジェフ・フェリス) |
先代 | ペンスキー・PC1 |
後継 | ペンスキー・PC4 |
主要諸元[1] | |
シャシー | アルミニウムモノコック |
エンジン | フォード・コスワースDFV 2993cc V8 NA |
トランスミッション | ヒューランドFGA400 5速 MT |
重量 | 590kg |
燃料 | スノコ |
タイヤ | グッドイヤー |
主要成績 | |
チーム | シティバンク・チーム・ペンスキー |
ドライバー | ジョン・ワトソン |
出走時期 | 1975 - 1976 |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
通算獲得ポイント | 2 |
初戦 | (1975年アメリカGP) |
最終戦 | (1976年モナコGP) |
概要
ペンスキーが初めて製作したF1マシン、PC1の戦闘力不足により1975年シーズン中に開発が行われ、最終戦のアメリカGPに1号車“PC3-1”が登場した。全体的なスタイリングはスポーツカーノーズやラジエターの配置など、PC1にかわって購入したマーチ・751と似ていたが、サイドポンツーン側面の傾斜やラジエター上部に備え付けられたスパッツなど、細部は異なる(フェリスによれば前輪のアップライト以外は独自のものという[2])。
ジョン・ワトソンのドライブにより予選12位を記録したが、決勝は電気系統のトラブルのためPC1に乗り換えた[3](このため、決勝のスタートは最後尾からとなった[4])。シーズンオフに2台目のシャシー“PC3-2”が製作される。
翌1976年は引き続いてワトソンがドライブ。ノンタイトルレースでの事故でPC3-2が破損後は、再びPC3-1で出走するが、南アフリカGPで5位入賞したのみで、ベルギーGP以降は新型車のPC4が投入され、役目を終えた。
F1における全成績
ワークス
((key))
年 | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1975 | フォード コスワースDFV | G | (ARG) | BRA | (RSA) | ESP | (BEL) | (MON) | (SWE) | (NED) | (FRA) | (GBR) | (GER) | (AUT) | (ITA) | (USA) | 2* | 12位 | ||||
28 | ワトソン | PO | ||||||||||||||||||||
1976 | フォード コスワースDFV | G | (BRA) | (RSA) | (USW) | (ESP) | (BEL) | (MON) | (SWE) | (FRA) | GBR | GER | (AUT) | (NED) | ITA | (CAN) | (USA) | JPN | 20** | 5位 | ||
28 | ワトソン | Ret | 5 | NC | Ret | 7 | 10 |
* ペンスキー・PC1が獲得。
** ペンスキー・PC4による18ポイントを含む。
ノンワークス
((key))
脚注
参考文献
- 大串信「1000分の1秒のヒーロー列伝 FILE54 ペンスキー・PC3-1」 『F1グランプリ特集』1995年1月号、p.127 - 131