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ペドリト・ローレンテ(Pederito Laurente、1982年3月30日 - )は、フィリピンのプロボクサー。第30代OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者。元PABAスーパーバンタム級暫定王者。マニラ出身。
来歴
1999年3月19日、カヴィテ州バコールで(アルド・アビリオ)と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
1999年6月26日、パラニャーケで(クリストファー・エサビア)と対戦し、プロ初勝利となる初回TKO勝ちを収めた。
2001年4月3日、ラグナ州サンペドロで(ジョエル・バウヤ)と対戦し、プロ初のKO負けとなる5回TKO負けを喫した。
2001年8月25日、パラニャーケで(ルシート・ムティア)と対戦し、2回TKO勝ちを収めた。
2002年1月18日、バンコクで(ソッ・ゴーキャットジム)と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2002年2月13日、バンコクでPABAバンタム級王者プーンサワット・クラティンデーンジムと対戦し、4回TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。
2002年5月24日、ジャカルタで(ジャック・シヤハヤ)と対戦し、4回KO勝ちを収め連敗を2で止めると共に再起を果たした。
2003年3月15日、東ネグロス州ドゥマゲテでフィリピンGABスーパーバンタム級王者ジムレックス・ハカと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
2003年4月27日、パラニャーケで(フラッシュ・ムリージョ)と対戦し、3-0の判定勝ちを収め再起を果たした。
2003年8月16日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者福島学と対戦し、12回3-0(115-114、117-113、116-112)の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
2003年10月18日、後楽園ホールでホルヘ・リナレスと対戦し、12回0-3(91-100、92-99、94-99)の判定負けを喫した。
2004年1月30日、セブ市のウォーターフロント・セブシティ・ホテル&カジノでジムレックス・ハカと対戦し、12回0-3(110-117、109-119、111-116)の判定負けを喫しOPBF王座の初防衛に失敗、王座から陥落した。
2004年5月20日、後楽園ホールで(長井祐太)と対戦し、7回1分56秒TKO勝ちを収めた。
2004年9月3日、ナコーンラーチャシーマー県でABCOスーパーバンタム級暫定王者(セーンヒラン・ルークバンヤイ)と対戦し、9回KO負けを喫し王座獲得に失敗した。
2005年5月17日、広州の天河体育中心体育場で(毛翔琦)とPABAスーパーバンタム級暫定王座決定戦を行い、3回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2005年9月3日、後楽園ホールで西岡利晃と対戦し、0-3(93-99、95-98、94-97)の判定負けを喫した。
2005年11月3日、ソウルで(申八萬)とPABAスーパーバンタム級暫定王座決定戦を行い、2回22秒TKO勝ちを収め王座再獲得に成功した。
2006年12月19日、ピッサヌローク県で正規王者のプーンサワット・クラティンデーンジムとPABAスーパーバンタム級王座統一戦を行い、2回2分34秒TKO負けを喫し王座統一に失敗、ローレンテが1年1ヵ月保持していた暫定王座は正規王座に吸収される形で消滅した。
2007年3月23日、パラニャーケで(ジョーバー・ダモスモグ)とノンタイトル8回戦を行い、3-0の判定勝ちを収め再起を果たした。
2007年6月1日、サマーラのメタルルグ・スタディオンで(アユプ・アーサエフ)とABCOフェザー級暫定王座決定戦を行い、4回2分0秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。
獲得タイトル
関連項目
脚注
- ^ 2007年12月試合結果 日本ボクシングコミッション(JBC) 2007年12月15日
外部リンク
- ペドリト・ローレンテの戦績 - BoxRec(英語)