プブリウス・クラウディウス・プルケル(ラテン語: Publius Claudius Pulcher)は、共和政ローマの政務官。父はアッピウス・クラウディウス・プルケル、兄弟には父と同名のアッピウス・クラウディウス・プルケルがいる。
プブリウス・クラウディウス・プルケル P. Claudius Ap. f. P. n. Pulcher[1] | |
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出身階級 | パトリキ |
一族 | プルケル |
氏族 | クラウディウス氏族 |
官職 | アエディリス・クルリス(紀元前189年) プラエトル(タレントゥム)(紀元前187年?) カレス植民委員(紀元前185年) コンスル(リグリア)(紀元前184年) グラウィスカエ植民三人委員(紀元前181年) |
紀元前189年にアエディリスに、紀元前188年にはプラエトルに、紀元前184年には前年の兄弟アッピウスに続いてコンスルに選出される。そしてエトルリア地方沿岸部の植民都市の建設を担う3人の委員の1人として任命された。
家族
出典
参考文献
- T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association