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ブルース・ディッキンソン

ブルース・ディッキンソンBruce Dickinson、本名: Paul Bruce Dickinson、1958年8月7日 - )は、イギリスミュージシャン。身長168cm。

ブルース・ディッキンソン
ブルース・ディッキンソン(2008年
基本情報
出生名 Paul Bruce Dickinson
生誕 (1958-08-07) 1958年8月7日(64歳)
出身地 イングランドノッティンガムシャー州・(ワークソップ)
学歴 ロンドン大学クイーンメアリー
ジャンル ヘヴィメタルハードロック
職業 歌手作家DJパイロット
担当楽器 ヴォーカル、ギター
活動期間 1976年 - 現在
共同作業者 アイアン・メイデン
サムソン
公式サイト http://www.screamforme.com/

アイアン・メイデンヴォーカリストとして最も知られている。

略歴

学生時代からStyx(1976年)(スティクスとは別のバンド)、Speed(1977~1978年)、Shots(1979年)、Xero(のち[いつ?]クレジットの問題でメイデン側との係争に発展する[要出典])といったバンドで活動を始める。このうちSpeedにおいては1977年にDraculaをレコーディングしており、これが自身にとって初のスタジオ録音となった[1]。その後1980年にブルース・ブルースの名でHR/HMバンド・サムソンのヴォーカリストとなったことでスティーヴ・ハリスに一目置かれ、1981年秋、アイアン・メイデン加入へとスカウトされた。

 
アイアン・メイデン加入当初の頃 1982年撮影

魔力の刻印』(1982年)におけるヴォーカルは独特の声質もさることながら声域の広さと圧倒的な表現力によって前任者以上の評価を獲得、ライヴにおいてもアクティヴなステージ・パフォーマンスを行うことで名声を高め、ひいてはバンドとしてのアイアン・メイデンの勇躍に貢献した[要出典](この時期の活動についてはアイアン・メイデンの項目を参照)。また、ワイルドなルックスと軽妙なキャラクターはファンの間にアイコンとしても広く浸透[要出典]し、メンバー同士(主にスティーヴ・ハリス)での音楽的な衝突[要出典]もありつつ愛された[誰によって?]

アイアン・メイデン加入後のバンド外での初の活動は、『エルム街の悪夢5 ザ・ドリームチャイルド』(1989年)のサントラに使用された Bring Your Daughter to the Slaughter 。(この曲は後にアイアン・メイデンのアルバム『ノー・プレイヤー・フォー・ザ・ダイング』でも取り上げられた)。これに続き、後にアイアン・メイデンのギタリストとなるヤニック・ガーズを擁した初のソロ・アルバム『タトゥード・ミリオネア』(1990年)を発表。

そしてソロ第2作目発表を前に、ソロ活動専念のためアイアン・メイデンを脱退。ロイ・Zと彼のバンド Tribe of Gypsies と共にアルバム『ボールズ・トゥ・ピカソ』(1994年)を完成させる。

次の作曲パートナーとしてギタリストの Alex Dickson を選び、まずはツアーを行って『アライヴ・イン・スタジオA』としてライヴ音源を発表。この新体制で『スカンクワークス』(1996年)を発表し、同時にバンドとしての正式な活動を発表するが、アルバムの売り上げ不振や音楽性の相違[要出典]ですぐに空中分解してしまう。

 
アイアン・メイデン加入25周年 2006年11月30日

再びロイ・Zと活動を始めると同時にアイアン・メイデン時代の同僚エイドリアン・スミスを招き、『アクシデント・オブ・バース』(1997年)を発表。久しぶりに正統派ヘヴィ・メタル色の強い楽曲を歌ったことで旧来のファン[誰?]から喝采を浴び、ソロ・キャリアを歩んで以降最高の売り上げ[要出典]となった。さらにこの音楽性を推し進め、ウィリアム・ブレイクにインスパイアされたアルバム『ケミカル・ウェディング』(1998年)を発表。同じ布陣でライヴ・アルバム『スクリーム・フォー・ミー・ブラジル』(1999年)を発売した。そしてアイアン・メイデンへの復帰が告知される。

2001年、ソロ・キャリアを総括する『ベスト・オブ・ブルース・ディッキンソン』を発売。その後はアイアン・メイデンでの活動と同時に、ソロ・アルバム『ティラニー・オブ・ソウルズ』(2005年)を発表する等、ソロ活動も継続中。

2015年2月、昨年12月に癌性腫瘍が見つかり、同年5月まで治療中と公表した[2]。9週間におよぶ化学療法の末、腫瘍の全摘出に成功している[3]

人物

音楽以外の活動も多岐にわたっている。イギリスの航空会社 アストライオス航空ボーイング757のパイロットを勤め、ファンサービスの一環としてコンサート会場国への送迎なども行っている[要出典]。アイアン・メイデンの2008~2009年、2011年、2016年のワールドツアーに於いても自ら操縦桿を握り、チャーター機を操縦している[4][5][6][7]。2016年には機材運搬に用いる機体をボーイング747-400に変更するため、シミュレータでの訓練を経て操縦資格を新たに取得している[8]。アストライオス航空の経営破綻後はウェールズの格安航空会社の株式を買い取り、その会社を元に新たに「カーディフ・アヴィエーション」を立ち上げ、アストライオス航空の従業員を再雇用するなど、パイロットのみならず経営者としての手腕を発揮している。

ビール醸造所の経営にも関与しており、アイアン・メイデンブランドのビールを製造販売する、企業経営者としての一面も持っている。

またテレビ番組の企画[要出典]でソ連戦車T-34も操縦した。フェンシングクリケットの腕前も確かで、23歳の頃にはイギリス国内のフェンシングのランキングで7位となっており[9]、アイアン・メイデンを一時脱退していた時期[いつ?]にはクリケットのイギリス代表メンバーとして世界を転戦した[要出典]経歴を持つ。

元々は歴史教師になるためにロンドン大学を構成するカレッジのひとつであるクイーン・メアリーで歴史学を学んだ[10][11][12]インテリであり、文筆業の実績も残している。1990年には『The Adventures of Lord Iffy Boatrace』を出版して小説家デビューを果たし[13]、2008年公開のホラー映画『Chemical Wedding』では監督の(ジュリアン・ドイル)(英語版)と共同で脚本を執筆した[14]

2019年11月、29年前に結婚した妻と2018年に破局を迎えていたとのことで、現在は新たな恋人と共にフランスのパリで暮らしている。妻とはすぐに離婚するつもりはないという[15]。その後2020年5月18日に妻が死去。「とんでもない悲劇だ。3人の子供たちと自分は大きなショックを受けている。妻に敬意を表しこれ以上のコメントは出さない」と語った[16]

息子が2人、娘[15]が1人おり、2人の息子はバンド活動を行っている。

長男[15]オースティンはロンドンを拠点に活動していたメタルコアバンド「ライズ・トゥ・リメイン」のボーカルとして、2011年にメジャーデビューを果たした[17]。2015年に解散[18]した後は、新バンド「As Lions」で活動中[19]

次男[15]グリフィンは「SHVPES」で活動していたが[20]、2020年7月に解散が発表された[21]

父方のいとこのロブ・ディッキンソンは、1990年代に活躍したシューゲイザーバンド、キャサリン・ホイールのフロントマンである[22]

ディスコグラフィ

サムソン

  • サバイバーズ - Survivors (1979)
  • ヘッド・オン - Head On (1980)
  • ショック・タクティクス - Shock Tactics (1981)
  • ライブ・アット・レディング '81 - Live At Reading 1981 (1990)

アイアン・メイデン

ブルース・ディッキンソン

オリジナル・アルバム

シングル

  • ティアーズ・オブ・ザ・ドラゴン (1994)
  • バック・フロム・ジ・エッジ (1996)
  • マン・オブ・ソロウズ (1997)
  • キリング・フロア (1998)

ライヴ・アルバム

ビデオ (DVD)

  • Dive! Dive! Live! (1990)
  • Skunkworks Live Video (1997)
  • Scream for Me Sarajevo (2018)

コンピレーション

書誌

脚注

  1. ^ 『ベスト・オブ・ブルース・ディッキンソン』日本盤初回CD(VICP-61523-4)ライナーノーツ(伊藤政則、2001年8月22日)
  2. ^ アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソン、癌を公表 - BARKS
  3. ^ “アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソン、自身のガンに対する報道を批判”. NME JAPAN 2018年12月7日. 2020年2月6日閲覧。
  4. ^ アイアン・メイデン、新エド・フォース・ワンをお披露目 - BARKS、2016年3月13日閲覧
  5. ^ アイアン・メイデン『FLIGHT 666』、世界同日35カ国にて上映 - BARKS、2016年3月13日閲覧
  6. ^ アイアン・メイデン、エド・フォース・ワン日本に再着陸 - BARKS、2016年3月13日閲覧
  7. ^ アイアン・メイデンの航空機、地上移動中に損傷 チリで足止め - AFPBB News、2016年3月13日閲覧
  8. ^ “「飛行機環境に悪い」でツアー中止の一方 自ら「ジャンボ」操縦 世界渡るバンドの伝説”. 乗りものニュース. 2019年11月23日閲覧。
  9. ^ Iron Maiden's Bruce Dickinson Fences Against Olympic Medalist - ultimateclassicrock - 2014年7月21日閲覧
  10. ^ It's Dr Bruce Dickinson!
  11. ^ Honorary degrees awarded to rock star, space explorer and visionary artist by Queen Mary
  12. ^ Bruce Dickinson gives keynote speech at Queen Mary innovation showcase
  13. ^ He ain't heavy he's your captain... and an Iron Maiden Rocker | Mail Online - 2014年7月28日閲覧
  14. ^ Bruce Dickinson's 'Chemical Wedding' Movie: Nyc 'Sneak Showing' Scheduled For This Weekend - Blabbermouth.net - 2014年7月28日閲覧
  15. ^ a b c d “アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソン、30年近く連れ添った妻と破局していたと報道”. NME JAPAN 2019年11月6日. 2020年2月6日閲覧。
  16. ^ “ブルース・ディッキンソン、別居中の妻が死去”. BARKS 2020年5月19日. 2021年5月14日閲覧。
  17. ^ “IRON MAIDENのBruceの息子、Austin率いるRISE TO REMAIN インタビュー!”. 激ロック 2011年10月4日. 2019年9月28日閲覧。
  18. ^ “ブルース・ディッキンソンの息子オースティンのライズ・トゥ・リメインが解散、オースティンは新バンドAs Lionsを結成”. amass 2015年1月7日. 2021年5月14日閲覧。
  19. ^ “ブルース・ディッキンソンの息子オースティンの新バンドAs Lions 初の楽曲「The Fall」を無料DL配信中”. amass 2015年1月13日. 2019年9月28日閲覧。
  20. ^ “ブルース・ディッキンソンの息子グリフィン率いるSHVPES 「Hot Head」のミュージックビデオ公開”. amass 2020年2月3日. 2020年2月6日閲覧。
  21. ^ “ブルース・ディッキンソンの息子グリフィン率いるSHVPES 解散を発表”. amass 2020年7月11日. 2021年5月14日閲覧。
  22. ^ “ため息が止まらない美しさ│シンガー・ポルシェは 日本に上陸していた!”. Octane Japan 2021年2月2日. 2023年3月6日閲覧。

外部リンク

  • BruceDickinson (公式サイト)(英語)
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