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ミーターズ

ミーターズThe Meters)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズR&Bファンク・バンドである。代表曲には「チキン・ストラット」「シシー・ストラット」などがある。

ザ・ミーターズ
ミーターズのアート・ネヴィル(左)とジョージ・ポーターJr.(2004年)
基本情報
出身地 ルイジアナ州ニューオーリンズ
ジャンル ファンク
R&B
活動期間 1969年 - 1977年
1989年 -
レーベル ジョーシー、リプリーズ
公式サイト http://www.funkymeters.com/
メンバー アート・ネヴィル
ジョージ・ポーターJr.
(ブライアン・ストルツ)
テレンス・ヒューストン
旧メンバー (レオ・ノセンテリ)
(ジョー“シガブー”モデリスト)
シリル・ネヴィル
(イアン・ネヴィル)
ラッセル・バティストJr.

来歴

ミーターズの前身は、1960年代中盤にアートが結成したアート・ネヴィル&ザ・サウンズだった。このバンドには当初アート、レオ・ノセンテリ、ジョージ・ポーターJr.とともにアーロン・ネヴィル、チャールズ・ネヴィルが参加していたが、彼らが抜けてドラムズにジョー“ジガブー”モデリストが加入し、名前をミーターズに変更した。レコード・デビュー前、彼らはアラン・トゥーサンと(マーシャル・シホーン)が経営する(サンス・レコード)のスタジオ・ミュージシャンとして活躍するようになっていた。リー・ドーシーの曲のバックで、演奏もしている。ジェームス・ブラウンやスライ・ストーンのファンクがワイルドで都会的であるのに対して、ミーターズのファンクは素朴なサウンドであるという見方もある[1]

1968年11月、ジョーシー・レーベルよりシングル"Sophisticated Cissy"でデビュー。翌年、アルバム『The Meters』をリリースした。デビューして間もない頃、彼らのツアー・マネージャーを務めたのは、ソロ・シンガーとしても実績のあったダニー・ホワイトだった[2]

1972年リプリーズ・レコードへ移籍し、第1弾作品『Cabbage Alley』をリリースした。

1973年、ミーターズが全面参加したドクター・ジョンのアルバム『イン・ザ・ライト・プレイス』がリリースされた。ドクター・ジョンが翌1974年に発表したアルバム『デスティヴリー・ボナルー』にも、引き続き全面参加。

1975年頃、シリル・ネヴィルがメンバーに加入。同年アルバム『Fire On The Bayou』をリリースした。1975年1976年ローリング・ストーンズのツアーの前座に抜擢される。また、ロバート・パーマーのアルバムに演奏で参加した。

1977年、バンド解散。アートとシリルは、他のネヴィル家の兄弟たちとともにネヴィル・ブラザーズを結成して活動するようになった。

1989年のにおける非公式なジャム・セッションのあと、バンドが再結成される。モデリストは再結成には参加せず、替わりにラッセル・バティストが加わった。1991年にリリースされたロビー・ロバートソンのアルバム「Storyville」には、バティスト加入後のミーターズの全メンバーが参加した曲 "Go Back to Your Woods" が収録された[3]。また、1993年には、このメンバーで来日公演も行っている。

1994年、ノセンテリが脱退して後任にブライアン・ストルツが加入した。同年、バンド名をファンキー・ミーターズ (The funky Meters) と変更する。バンドは現在もこのメンバーで活動している。一方、オリジナル・メンバーのミーターズも何度か単発的に再結成されており、こちらは区別するためにオリジナル・ミーターズ (The Original Meters) と呼ばれている。

アート・ネヴィルは2006年のオリジナル・ミーターズ再結成後、再びこのメンバーでやることはないと宣言し、その後は残る3人がザ・ミーター・メン名義でステージに立つなどしていたが[4]、2011年のボナルー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバル、2012年のニューオーリンズのクラブ、ハウリン・ウルフでの公演と、オリジナル・ミーターズは公演を行っている。

2007年、ブライアン・ストルツがバンドを脱退し、後任としてアートの息子でネヴィル・ブラザーズ、ダンプスタファンクでの活動でも知られる(イアン・ネヴィル)が加入した[5]

2009年7月、ファンキー・ミーターズはフジ・ロック・フェスティバルへの出演のため、来日を果たした[6]

2011年、イアン・ネヴィルはダンプスタファンクでの活動に専念するため、バンドを脱退。ブライアン・ストルツが呼び戻されている[7]

2014年1月、2015年5月、ファンキー・ミーターズが来日。それぞれ大阪、東京での公演が組まれた。

一方、ノセンテリは自身のバンドを「ミーターズ・エクスピリエンス」と銘打ち、ミーターズの楽曲を演目に入れて活動を行っている。2013年1月、2014年10月と、このバンドの来日公演も行われている。

メンバー

名前 パート 生年月日/出身地 在籍期間
アート・ネヴィル Art Neville key., vo. 1937年12月17日/ニューオーリンズ 結成 - 現在
ジョージ・ポーターJr. George Porter, Jr. b., vo. 1947年12月26日/ニューオーリンズ 結成 - 現在
レオ・ノセンテリ Leo Nocentelli gt. 1946年6月15日/ニューオーリンズ 結成 - 1994年
ジョー“ジガブー”モデリスト Joe "Zigaboo" Modeliste ds. 1948年12月28日/ニューオーリンズ 結成 - 1977年
シリル・ネヴィル Cyril Neville perc., vo. 1948年1月10日/ニューオーリンズ 1975年 - 1977年
ブライアン・ストルツ Brian Stoltz gt. 1994年 - 2007年2011年 - 現在
ラッセル・バティストJr. Russell Batiste, Jr. ds. 1965年12月12日/ニューオーリンズ 1994年 - 2014年
イアン・ネヴィル Ian Neville gt. ?/ニューオーリンズ[8] 2007年 - 2011年
テレンス・ヒューストン Terrence Houston ds. ? 2014年 - 現在

※再結成後のオリジナル・ミーターズの活動は「在籍期間」に入れていない。

ディスコグラフィ

オリジナル・アルバム

  • 1969年 The Meters (Josie)
  • 1969年 Look-Ka Py Py (Josie)
  • 1970年 Struttin' (Josie)
  • 1972年 Cabbage Alley (Reprise)
  • 1974年 Rejuvenation (Reprise)
  • 1975年 Fire On The Bayou (Reprise)
  • 1976年 Trick Bag (Reprise)
  • 1977年 New Directions (Reprise)
  • 2003年 Fiyo at the Fillmore, Vol. 1 (ファンキー・ミーターズ名義)

編集盤など

関連項目

脚注

  1. ^ ミーターズ 2023年4月3日閲覧
  2. ^ Former Singer, Bandleader Danny White Is Dead At 64 Times Picayune 01-11-1996
  3. ^ Robbie Robertson - Storyville (CD, Album) at Discogs
  4. ^ Meter Men not quite the Meters at Jazz Fest (by Keith Spera, nola.com)
  5. ^ Jambands.com | Features | George Porter Jr. Still Holds It Down With Gusto | 2007-03-22
  6. ^ フジロックフェスティバル '09 【ラインナップ】
  7. ^ About - funky Meters (official website)
  8. ^ imdb Ian Neville Birography

外部リンク

  • ワーナーミュージック・ジャパン - ミーターズ
  • The funky Meters 公式サイト (英語)
  • George Porter, Jr. 公式サイト (英語)
  • Joe "Zigaboo" Modeliste 公式サイト (英語)
  • ミーターズ - オールミュージック (英語)
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