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ピオトル・トロホウスキ

ピオトル・トロホウスキ(Piotr Trochowski, 1984年3月22日 - )は、ポーランドトチェフ出身でドイツ国籍の元サッカー選手。元ドイツ代表である。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー

ピオトル・トロホウスキ
ハンブルガーSV時代 (2009年)
名前
ラテン文字 Piotr Trochowski
基本情報
国籍 ドイツ
ポーランド
生年月日 (1984-03-22) 1984年3月22日(39歳)
出身地 トチェフ
身長 169cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003 バイエルンII 38 (8)
2003-2005 バイエルン 13 (1)
2005-2011 ハンブルガーSV 180 (20)
2011-2015 セビージャ 59 (3)
2015-2016 アウクスブルク 6 (0)
代表歴2
2001  (ドイツ U-18) 5 (1)
2003  ドイツ U-20 13 (5)
2004-2006  ドイツ U-21 15 (2)
2006-2010 ドイツ 35 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月19日現在。
2. 2010年7月8日現在。
(■テンプレート)((■ノート) ■解説■サッカー選手pj

経歴

出自

彼の家系は1919年までドイツ帝国の領域(旧ドイツ東部領土)であった西プロイセンに由来しており、ゲルマン人ではなくスラブ人であったが、法的にドイツの系譜を受け継いでおり、すべての祖父母はドイツ国籍を有していた[1]。ピオトル・トロホウスキはポーランド・ポモージェ県トチェフに生まれ、彼が5歳の時、両親とともに(帰還権)(英語版)を行使してドイツのハンブルクに移住した[2]

クラブ

9歳の時にBillsted Hornでサッカーをはじめ、その後は(SCコンコルディア・ハンブルク)、FCザンクトパウリの下部組織でプレーした。1999年にバイエルン・ミュンヘンの下部組織に移り、2001年にバイエルン・ミュンヘンIIに昇格した。2003年にトップチーム初出場を果たしたが、出場機会は少なく、2005年1月に故郷のハンブルクにあるハンブルガーSVに移籍した。トーマス・ドル監督に出場機会を与えられ、自らの価値を証明した。2005年9月24日のバイエルン戦(2-0)では古巣相手に1得点1アシストの活躍を見せた。2005-06シーズンにはレギュラーに定着して5得点を挙げ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得に貢献した。

2011年4月5日、シーズン終了後にリーガ・エスパニョーラセビージャFCに移籍することが合意に達した。2010-11シーズン後半戦はハンブルガーSVにとてあつかいづらい選手であり、ウィンターブレーク明けにはめっきり出場機会が減っていた[3]

2015年7月21日、FCアウクスブルクへ移籍[4]。4シーズンぶりにドイツへ復帰した。

代表

 
ファンやレポーターに囲まれたトロヒョウスキ

ポーランドで生まれたため、ポーランド代表を選択する権利も有していた。ピオトルの母親はポーランドサッカー協会(Polish Football Association)に何度も手紙を出し、ピオトルが優れた才能の持ち主であることや、彼がポーランド代表招集に乗り気であることを知らせた[5]。しかし、ポーランドサッカー協会は彼に興味を示さず、彼はドイツ代表を選択することとなった。2005年8月に行われたインタビューで「僕の心はドイツよりもポーランドにある。でもポーランドサッカー協会の人間は誰ひとり僕に関心を示さなかった。それでドイツ代表でプレーすることを選んだ。僕の母が(ポーランドサッカー協会に)送った手紙に返信はなかった。そしてドイツサッカー協会は僕に興味を示したからね」と語った[2]。しかしドイツのディ・ヴェルト紙では「もし過去に戻れたとしてもドイツ代表でプレーすることを望んだろう。学校は楽しいし、ここでサッカーの技術を得たから」と語っている[6]。2003年にはU-20ドイツ代表としてFIFAワールドユース選手権に参加した。ハンブルガーSVに移籍して1年後にはドイツA代表ヨアヒム・レーヴ監督が初めて彼を招集し、2006年10月7日の(ジョージア)との親善試合でデビューを飾った。UEFA欧州選手権2008予選では6試合に出場し、UEFA欧州選手権2008本大会にも出場した。2008年10月15日、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ウェールズ戦で代表初得点を決めた。

人物

3人の兄弟はいずれもセミプロのサッカー選手である[6]。従兄の(クリスティアン・トロホウスキ)(英語版)ラグビードイツ代表の選手である[7]

タイトル

クラブ

代表

個人成績

クラブでの出場記録

2010年5月16日時点
クラブ成績 リーグ カップ 国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点
ドイツ リーグDFBポカール ヨーロッパ 通算
2001–02 バイエルンII レギオナルリーガ南部 7 0 0 0 0 0 7 0
2002–03 9 1 1 0 0 0 10 1
バイエルン ブンデスリーガ 3 0 0 0 0 0 3 0
2003–04 10 1 1 1 0 0 11 2
バイエルンII レギオナルリーガ南部 17 6 0 0 0 0 17 6
2004–05 5 1 1 0 0 0 6 1
ハンブルガーSV ブンデスリーガ 3 0 0 0 0 0 3 0
2005–06 32 5 3 0 16 2 51 7
2006–07 26 2 1 0 8 1 35 3
2007–08 32 1 4 2 14 3 50 6
2008–09 31 5 3 0 5 0 39 5
2009–10 33 4 1 3 13 2 47 9
2010–11 21 2 1 0 0 0 22 2
総通算 229 28 16 6 56 8 301 42

代表での得点

 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2008年10月15日   メンヒェングラートバッハ   ウェールズ 1–0 1-0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
2. 2009年6月2日   アブダビ   アラブ首長国連邦 0-3 2-7 親善試合

脚注

  1. ^ Gazeta W.; SPIEGEL 22032010, p. 21
  2. ^ a b Łukasz Pałucha (2005年8月21日). “Piotr Trochowski - mówią o nim Zidane” (Polish). Gazeta Wyborcza. 2009年4月5日閲覧。
  3. ^ “Piotr Trochowski: Neuer Anlauf in Sevilla” (German). kicker.de (2011年4月5日). 2011年4月6日閲覧。
  4. ^ “Trochowski erhält Vertrag beim FCA” (German). FCアウクスブルク公式 (2015年7月21日). 2015年7月22日閲覧。
  5. ^ “Trochowski: Polski nigdy się nie wyrzekłem” (Polish) (2008年4月25日). 2009年4月5日閲覧。
  6. ^ a b Kai Behrmann (2008年6月7日). “Familie Trochowski jubelt über deutsche Tore - auf Polnisch” (German). welt.de. 2009年8月25日閲覧。
  7. ^ “TotalRugby-XV der Hinrunde 2009/2010 - Props” (German) (2009年12月18日). 2010年3月16日閲覧。

外部リンク

  • Piotr Trochowski at transfermarkt.de (ドイツ語)
  • Piotr Trochowski - fussballdaten.de (ドイツ語)
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