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ヒュー・ヒューム=キャンベル (第3代マーチモント伯爵)

第3代(マーチモント伯爵)ヒュー・ヒューム=キャンベル英語: Hugh Hume-Campbell, 3rd Earl of Marchmont PC FRS1708年2月15日1794年1月10日)は、スコットランドの政治家。1734年から1740年まで庶民院議員を務めた後、マーチモント伯爵の爵位を継承し、1750年よりスコットランド貴族代表議員として貴族院議員を務めた。また、1724年から1740年までポルワース卿儀礼称号を使用した。

ピエール・ファルコヌ(Pierre Falconet)による肖像画、1769年作。

生涯

第2代マーチモント伯爵アレクサンダー・ヒューム=キャンベルとマーガレット・キャンベル(Margaret Campbell、1710年以降没、サー・ジョージ・キャンベルの娘)の三男として、1708年2月15日にエディンバラで生まれた[1]。双子の弟に(アレクサンダー)(英語版)がいる[2]。1716年よりロンドンの私立学校を通った後、1721年から1725年頃までオランダのユトレヒト(フラーナカー)(英語版)を旅した[3]。その後、エディンバラ大学に入学した[3]

1734年イギリス総選挙で弟アレクサンダーとともに出馬、ヒューは(ベリック=アポン=ツイード選挙区)(英語版)[3]、アレクサンダーは(ベリックシャー選挙区)(英語版)で当選した[4](父もスコットランド貴族代表議員選挙に出馬したものの落選した[2])。議会では1737年2月16日に(ポーティアス暴動)(英語版)が起こったエディンバラへの刑罰法案に反対する演説をし、1738年2月に陸軍についての弁論に参加した[3]。1740年2月27日に父が死去すると、マーチモント伯爵の爵位を継承したが[1]、スコットランド貴族代表議員に当選できず、順調な滑り出しだった政治生涯に翳りが見えた[2]。しかし、盟友のチェスターフィールド伯爵ウィリアム・ピットの働きかけで1744年にブロード・ボトム内閣が成立すると、マーチモント伯爵も政治の舞台に返り咲き、1745年ジャコバイト蜂起でも政府を支持した[2]

その後、野党とのつながりを維持したが、1747年に首相ヘンリー・ペラムと和解、同年11月22日にスコットランド第一警察卿(First Commissioner of the Police)に任命され(1764年まで在任)[3]、1750年から1784年までスコットランド貴族代表議員を務めた[1]。しかし、マーチモント伯爵自身が認めたように、1762年11月22日に枢密顧問官に任命され、1763年から1790年までスコットランド銀行総裁を[3]、1764年から1794年まで(スコットランド国璽尚書)(英語版)を務める[1]など官職就任はあったものの、ペラムとの和解以降は政界で重要な役割を果たさなくなった[3]

1794年1月10日に死去、爵位は保持者不在になった[1]

人物

第3代マーチモント伯爵は「学問に秀で、古典学、歴史、民法について深く読んでいる」と評価され[5]、1753年2月1日には王立協会フェローに選出された[6]

家族

1731年5月1日、アン・ウェスタン(Ann Western、1747年5月9日没、ロバート・ウェスタンの娘)と結婚した[1]

  • パトリック - 早世
  • アン(1734年頃 – 1790年7月27日) - 1735年10月23日、(第3代準男爵サー・ジョン・パターソン)(英語版)と結婚、子供あり
  • マーガレット(1764年1月7日没) - 1763年9月20日、ジェームズ・ステュアート(James Stuart、1793年没)と結婚、子供なし
  • (ダイアナ)(1735年 – 1827年) - 1754年、ウォルター・スコット(Walter Scott、1793年没)と結婚、子供あり。後に法律上のポルワース女卿になる

1748年1月30日にエリザベス・クロンプトン(Elizabeth Crompton、1797年2月12日没、ウィンドミル・クロンプトンの娘)と再婚した[1]

  • アレクサンダー(1750年 – 1781年3月9日) - 1772年、アマベル・ヒューム=キャンベル(後の初代ド・グレイ女伯爵)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった。1776年5月20日、ベリックのヒューム男爵に叙された

政治家の(ジョージ・ローズ)(英語版)をマーチモント伯爵の庶子とする噂もあったが、英国人名事典では無視してよい風説だとしている[7]

出典

  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 246–247.
  2. ^ a b c d (Henderson, Thomas Finlayson) (1891). "Hume, Hugh" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 28. London: Smith, Elder & Co. pp. 226–228.
  3. ^ a b c d e f g Sedgwick, Romney R. (1970). "HUME CAMPBELL, Hugh, Lord Polwarth (1708-94).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月26日閲覧
  4. ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "HUME CAMPBELL, Hon. Alexander (1708-60), of Birghamsheil, Berwickshire.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月26日閲覧
  5. ^ The Diaries and Correspondence of George Rose, Rev. Leveson Vernon Harcourt, Richard Bentley, 1860, vol. I, p. 18
  6. ^ "Campbell; Hugh (1708 - 1794); 3rd Earl of Marchmont". Record (英語). The Royal Society. 2019年7月26日閲覧
  7. ^ (Hunt, William) (1897). "Rose, George (1744-1818)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 49. London: Smith, Elder & Co. pp. 226–230.
(グレートブリテン議会)(英語版)
先代
(ジョージ・リデル)(英語版)
(ジョセフ・サビーン)(英語版)
庶民院議員((ベリック=アポン=ツイード選挙区)(英語版)選出)
1734年 – 1740年
同職:(ジョージ・リデル)(英語版)
次代
(ジョージ・リデル)(英語版)
バリントン子爵
公職
先代
アソル公爵
(スコットランド国璽尚書)(英語版)
1764年 – 1794年
次代
(ゴードン公爵)(英語版)
スコットランドの爵位
先代
アレクサンダー・ヒューム=キャンベル
(マーチモント伯爵)
1740年 – 1794年
保持者不在
(ポルワース卿)
1740年 – 1794年
停止
次代の在位者
(ヒュー・スコット)
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