座標: 北緯6度52分7秒 東経101度15分0秒 / 北緯6.86861度 東経101.25000度
ムアンパッターニー郡(ムアンパッターニーぐん)はタイ・南部にある郡(アンプー)。マレー語的表記がパタニであるため状況によって使い分ける必要がある。パッターニー県の県庁所在地(ムアン)でもある。
名称
パタニ王国の名称から来ている。『アユタヤ王朝年代記ルワン・プラスート本[1]』には単にターニーなどと書かれている。
歴史
詳しくはパタニ王国参照
古くからマレー系王朝のパタニ王国の首都として発達し、(マレー系)が多く住む。しかしながら、アユタヤ王朝、チャクリー王朝を通して、シャムの朝貢国であった[2]。
ラーマ2世はパッターニーを7つのムアンに分割し、それぞれムアン・パッタニー、ムアン・(ヤハー)、ムアン・(ヤリン)、ムアン・(ノーンチック)、ムアン・(ラゲ)、ムアン・(ラーマン)、ムアン・(サーイブリー)とした。
パッターニーは1901年、サバーラン郡(アムプー)となり、1906年にはモントン・パッターニーの中心地となった。その後、1938年、郡はムアンパッターニー郡と名を変えた[3]。
地理
南シナ海・タイランド湾に面し、(ターニー川)の形成した平地にある。
交通は国道410号線が南に延びており、ヤラー方面と通じている。また国道42号線が東西に通っており、東はナラーティワート方面、東はソンクラー、ハジャイに通じている。
古くから貿易港として栄え、パタニ王国の頃から華僑が多く移住した。現在、街の中心地南には、華人街が広がる。
海沿いにプリンス・オブ・ソンクラー大学のパッターニーキャンパスがある。同大学内には、教員宿舎のほか、1万人近くの大学生の寮と附属校の生徒の寮も備えている。大学前の通りは非常に活気がある。
郡北部の海岸は(泥浜)である。この湿地帯は埋め立てられ、イミグレーションや各種学校をはじめとした国の機関が多く設置され、漁港とそれに併設された魚市場や、(レインボー・スタジアム)などがある。同スタジアムは、プロサッカーチームパッターニーFCのホームグラウンドである。海浜公園である(Somdet Phra Sinagarin Pattani Park)には、元々湿地帯に遊歩道が設置されていたが、2017年に(Sky walk)という高さ10メートル、距離300メートルに及ぶ展望遊歩道が建設され、多くの市民で賑わっている。
行政区分
市は13のタムボンに分かれ、その下位に66の村がある。テーサバーン(自治体)が設置されており、以下のようになっている。
- (テーサバーンムアン・パッターニー)・・・タムボン・サバーラン、タムボン・アーノルー、タムボン・チャバンティコー全体
その他の10のタムボンは各タムボンの(タムボン行政体)が行政を行っている。以下は市内のタムボンの一覧である。
- タムボン・サバーラン・・・ตำบลสะบารัง
- タムボン・アーノルー・・・ตำบลอาเนาะรู
- タムボン・チャバンティコー・・・ตำบลจะบังติกอ
- タムボン・バーナー・・・ตำบลบานา
- タムボン・タンヨンルロ・・・ตำบลตันหยงลุโละ
- タムボン・クローンマーニン・・・ตำบลคลองมานิง
- タムボン・カミヨー・・・ตำบลกะมิยอ
- タムボン・バーラーホーム・・・ตำบลบาราโหม
- タムボン・パカーハラン・・・ตำบลปะกาฮะรัง
- タムボン・ルーサミレー・・・ตำบลรูสะมิแล
- タムボン・タルボ・・・ตำบลตะลุโบะ
- タムボン・バーラーホ・・・ตำบลบาราเฮาะ
- タムボン・プユット・・・ตำบลปุยุด
脚注
- ^ พระราชพงศาวดารกรุงเก่า ฉบับหลวงประเสริฐอักษรนิติ์ 2013年5月12日, at the Wayback Machine. - (アユタヤ王朝年代記ルワン・プラスート本)
- ^ T. M. フレーザー、2012、『タイ南部のマレー人:東南アジア漁村民族誌』(岩淵聡文訳)、東京:風響社。
- ^ “พระราชกฤษฎีกาเปลี่ยนนามจังหวัด และอำเภอบางแห่ง พุทธศักราช ๒๔๘๑” (Thai). ราชกิจจานุเบกษา 55 (0 ก): 658. (14 พ.ย. 2481) .
外部リンク
- amphoe.com