座標: 北緯46度04分06秒 東経18度12分19秒 / 北緯46.06833度 東経18.20528度
バラニャ県(バラニャけん、ハンガリー語: Baranya vármegye、クロアチア語: Baranja、セルビア語: Барања (Baranja) 、ドイツ語: Branau)は、ハンガリー南部の県。ハンガリー王国時代の(バラニャ地方)の一部だった。県都はペーチ。
クロアチアと国境を接する。ドラヴァ川が南の境となり、ドナウ川が東の境となっている。バーチ・キシュクン県、トルナ県、ショモジ県と接する。
地理
県北部は広大な森林を擁する山地である。中央部はバラニャ丘陵とヴィラーニー山地に分けられる。東端部と南部は平坦な土地である。
県の標高最高地点はメチェク山地のゼンゲー(Zengő)で、682メートルである。
気候は地中海性気候で、日照時間が長い。バラニャ県は国内で最も降雨量が多い。また鉱物と温泉に富み、その他の資源としてハンガリー国内で産出される石炭の98%がここで見つかっている。
歴史
古代から人が定住していた。マジャル人によるハンガリー征服前は、スラヴ人が暮らしていた。ハンガリー王イシュトヴァーン1世がこの地に司教座をおいた。
1526年、バラニャを含む南部ハンガリーがオスマン帝国に占領され、1689年までその支配を受けた。中世に定められた国境は1919年まで変わらなかった。トリアノン条約によって、県南部1163平方キロメートルがルーマニア、セルビアなどに割譲されて失われた。1950年の県再編成では、わずかな変更しかされなかった。
バラニャ県には、ハンガリー国内に住む少数民族が多数暮らしている(国平均の2倍以上である)。ハンガリーに住むドイツ系住民の34%、南スラヴ系住民の32%がバラニャ県に住んでいる。
統計
2001年の調査では、バラニャ県の人口は407,448人であった。[1]
地域の構成
ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン県と同じく、バラニャ県は一部の大都市と、小さな自治体とに分かれる極端な構成である。県都ペーチは国内第5位の大都市だが、県の自治体の2/3は人口500人未満の小村である。県人口の半数が県都かその周辺に暮らし、県人口の22%が人口1000人以下の村で暮らしている。
主な市町
2001年度の人口調査による
- ペーチ (156,649人)
- (コムロー) (27,462人)
- モハーチ (19,085人)
- (シゲトヴァール) (11,492人)
- (シクローシュ) (10,384人)
- (セントローリンツ) (7,265人)
- (ペーチヴァーラド) (4,104人)
- (コザールミシュレニ) (4,058人)
- (ボーイ) (3,715人)
- (シャーシュド) (3,570人)
- (ハルカーニー) (3,519人)
- (セイェ) (3,248人)
- (ヴィラーニー) (2,793人)
ギャラリー
Mecseknádasdの邸宅
センテガート(Szentegát)にあるビーダーマン邸宅
北部のメチェク山地
北東の丘陵地帯