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バブ・エル・マンデブ海峡

バブ・エル・マンデブ海峡(バブ・エル・マンデブかいきょう、アラビア語: مضيق باب المندب‎、英語: Bab-el-Mandeb)は、アラビア半島南西部のイエメン東アフリカエリトリアジブチ国境付近の海峡である。この海峡で紅海アデン湾を分け、その先のアラビア海へと続いている。マンデブ海峡 (Mandeb Strait) と呼称されることも多い。

衛星写真

概説

海峡の幅は30kmほどしかなく、しかも東部にはペリム島(イエメン領)、西部には(サワビ諸島)(ジブチ領)があり、航路はさらに限られる。

名の由来はアラビア語の「涙の門」である。これは海峡の幅が狭くまた潮の流れが急で、しかも毎年11月から数ヶ月ほどは季節風が強くインド洋の方向から地中海の方へ向けて吹くため、地中海からインド洋へ航海する帆船にとっては海峡を通過するのが極めて困難だったことを表して「涙の門」と船乗りから呼ばれたものと伝えられる。また名前の由来にはもうひとつアラビアとアフリカを分断した大地震の伝説に由来するという説もある。

世界の航海海運地政学上の重要な海峡(チョークポイント)であり、イギリスフランスイタリアが競って周囲を植民地にしていった。第四次中東戦争中は(エジプト海軍)が駆逐艦2隻を同海峡に派遣し、(当時友好国同士であった)イランからイスラエル向け石油の流通を海上封鎖した。この海峡に面するジブチには現在も、フランスやアメリカ合衆国日本中国などが部隊派遣や拠点展開を行っている。

2018年7月26日サウジアラビアで原油の積み出しを行ったタンカー2隻がイエメン沖で反政府勢力フーシからの攻撃を受けた。このためサウジアラビア政府は、安全を確保するため翌月8月5日まで海峡を通過する石油輸送の停止を行った[1]

出アフリカ

約20万年前に東アフリカ大地溝帯で誕生した現生人類は、約7万年前の最終氷期の始まりにより気候が乾燥化し、草原および狩りの獲物が減少したために移住を余儀なくされ、海水準が降下したためにバブ・エル・マンデブ海峡の幅が11kmほどに縮まった時に、海峡を通じてアラビア半島南部へ渡ったとする仮説がある。

当時もアラビア半島内陸部には砂漠が広がり、人類の生存に適していなかった一方で、海水準の低下によりアラビア半島南部沿岸は今よりも陸地が広く、インド洋モンスーンを水源とする、淡水の湧くオアシスが点在し、それを頼りに海岸沿いに移動したとされる。現在のイエメンからオマーンにかけての陸地に、約7万年前から約1万2000年前までの間、人類が住んでいた痕跡がある。オマーンには現在でも当時の名残を思わせる(ドファール山地)が存在する。アラビア半島を海岸沿いに反時計周りに移動すれば、ペルシャ湾へと到達する。ペルシャ湾は現在平均水深50mほどの浅い内海で、当時はホルムズ海峡のあたりまで、周囲から河川が流れ込む水と緑の豊かな陸地(峡谷)だったと考えられている。人類はそこからさらにメソポタミアヨーロッパアジアオーストラリア南北アメリカに拡散したとされる。約1万2000年前に氷期が終わり、海水準の上昇により海中に没したそれらの陸地を、「エデン」に比定する仮説もある。

北ルート説と南ルート説

約6万年前に、現生人類がアフリカから出て拡散したルートは、エチオピアからバブ・エル・マンデブ海峡を渡ってアラビア半島に到達したとする上記の「南ルート説」の他に、エジプトからシナイ半島経由の「北ルート説」が提唱されており、考古学上の論争となっている。

脚注

  1. ^ “サウジが紅海からアデン湾への石油輸送再開”. AFP (2018年8月5日). 2018年8月6日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 日本大百科全書(ニッポニカ)『(バベル・マンデブ海峡)』 - コトバンク
  • 世界大百科事典 第2版『(バーブ・アルマンデブ海峡)』 - コトバンク
  • 大辞林 第三版『(バベルマンデブ海峡)』 - コトバンク

座標: 北緯12度35分 東経43度20分 / 北緯12.583度 東経43.333度 / 12.583; 43.333

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