"アバランシュ" バズ・タイラー("Avalanche" Buzz Tyler、1946年[1] - )はアメリカ合衆国の元プロレスラー。サウスカロライナ州スパータンバーグ出身。
バズ・タイラー | |
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プロフィール | |
リングネーム | "アバランシュ" バズ・タイラー |
ニックネーム | 雪崩男 |
身長 | 187cm[1] |
体重 | 127kg - 135kg |
誕生日 | 1946年??月??日[1] |
出身地 | アメリカ合衆国 サウスカロライナ州 スパータンバーグ郡スパータンバーグ |
デビュー | 1966年[1] |
引退 | 1985年 |
現役選手時代はヒールのラフ&パワーファイターとして、中西部や南部などNWAのローカル・テリトリーで活躍した[1][2]。
来歴
日本におけるプロフィールでは、1966年にカロライナ地区でデビューしたとされる[1]。1976年下期より、NWFの残党が参画していた独立団体IWAのカロライナ地区での興行にて、リップ・タイラーのパートナーとなって活動、ジョニー・パワーズ、ブルドッグ・ブラワー、マイティ・イゴール、マクガイヤー・ブラザーズなどと対戦した[3][4]。
IWA崩壊後はテネシーのNWAミッドアメリカ地区に参戦し、ミスター・レスリング2号、ペッツ・ワトレー、トージョー・ヤマモト、ボビー・イートン、ラニー・ポッフォらと対戦[5]。1978年2月22日にはダッチ・マンテルに代わるジプシー・ジョーの新パートナーに起用され、ミッドアメリカ・タッグ王座を獲得した[6]。
その後はミズーリおよびカンザスのNWAセントラル・ステーツ地区に入り、ボブ・スウィータンやルーファス・ジョーンズと抗争。1980年8月8日には、ニューヨークから同地区に遠征してきたボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦している[7]。1981年4月1日にはブルドッグ・ボブ・ブラウンからセントラル・ステーツ・ヘビー王座を奪取[8]。後にブラウンとはタッグを組み、デューイ・ロバートソン&ハーキュリーズ・ヘルナンデスなどのチームを破ってセントラル・ステーツ・タッグ王座も再三獲得した[9]。
1981年下期から1982年にかけては、エディ・グラハムが主宰していたNWAフロリダ地区にて活動[10][11]。ドリー・ファンク・ジュニア、ボビー・ジャガーズ、オックス・ベーカー、そして当時ヒール修行中だったデビッド・フォン・エリックとも共闘し、ダスティ・ローデス、ジャック・ブリスコ、ジェリー・ブリスコ、バグジー・マグロー、ブライアン・ブレアー、スウィート・ブラウン・シュガー、ブッチ・リードらと抗争を展開した。
1983年8月、全日本プロレスに初来日[12]。翌1984年の再来日ではタイガー・ジェット・シン軍団の一員となり、シリーズ最終戦の6月14日にシン、上田馬之助、鶴見五郎と組んで、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、プリンス・トンガの全日本軍と後楽園ホールにて(エリミネーション・マッチ)で対戦した[13]。前日の6月13日には、大阪府立体育館にて鶴見と組んで阿修羅・原&石川隆士のアジアタッグ王座にも挑戦している[14]。
その間、アメリカではセントラル・ステーツ地区を主戦場に、1983年10月20日にスーパー・デストロイヤー、1984年2月9日にタリー・ブランチャードを破り、セントラル・ステーツ・ヘビー王座に返り咲いている[8]。1984年9月12日にはテネシーでのタッグパートナーだったジプシー・ジョーから同TV王座を奪取したが、翌月の10月13日にマーティ・ジャネッティに敗れてタイトルを失った[15]。
以後、ジム・クロケット・ジュニアの管理するNWAミッドアトランティック地区に主戦場を移し、1984年11月22日開催の『(スターケード '84)』ではジ・アサシンと組み、イライジャ・アキーム&カリーム・モハメッドのザンブイ・エクスプレスから勝利を収めた[16]。翌月の12月にはワフー・マクダニエルのUSヘビー級王座に連続挑戦[7]。同地区ではベビーフェイスのポジションに回り、ジミー・バリアントらのパートナーとなって悪党マネージャーのポール・ジョーンズ率いるヒール軍団と抗争。1985年3月16日にはロン・バスからミッドアトランティック・ヘビー級王座を奪取[17]。7月16日開催の『(グレート・アメリカン・バッシュ)』ではマニー・フェルナンデス&サム・ヒューストンと組み、ジョーンズ・アーミーのアブドーラ・ザ・ブッチャー、スーパースター・ビリー・グラハム、コンガ・ザ・バーバリアンと6人タッグマッチで対戦した[18]。
得意技
獲得タイトル
- NWAセントラル・ステーツ・ヘビー王座:4回[8]
- NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:4回(w / J・J・ディロン、ブルドッグ・ボブ・ブラウン×3)[9]
- NWAセントラル・ステーツTV王座:1回[15]
- NWAオールスター・レスリング
- NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回[17]
脚注
- ^ a b c d e f 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P80 (2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “Buzz Tyler”. Online World of Wrestling. 2020年7月4日閲覧。
- ^ “The IWA matches fought by Buzz Tyler in 1976”. Wrestlingdata.com. 2014年4月28日閲覧。
- ^ “The IWA matches fought by Buzz Tyler in 1977”. Wrestlingdata.com. 2014年4月28日閲覧。
- ^ “The Mid-America matches fought by Buzz Tyler in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年4月28日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-America Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月19日閲覧。
- ^ a b “Wrestler-Datenbank: Buzz Tyler”. Cagematch.net. 2011年11月19日閲覧。
- ^ a b c “NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月19日閲覧。
- ^ a b “NWA Central States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月19日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Buzz Tyler in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年4月28日閲覧。
- ^ “The CWF matches fought by Buzz Tyler in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年4月28日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Buzz Tyler in 1983”. Wrestlingdata.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Buzz Tyler in 1984”. Wrestlingdata.com. 2016年2月9日閲覧。
- ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P157(1986年、ベースボール・マガジン社)
- ^ a b “NWA Central States Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月19日閲覧。
- ^ “Starrcade 1984”. Pro Wrestling History.com. 2022年2月24日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-Atlantic Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年11月19日閲覧。
- ^ “The Great American Bash 1985”. Pro Wrestling History.com. 2011年11月19日閲覧。
- ^ “NWA International Tag Team Title [British Columbia]”. Wrestling-Titles.com. 2016年5月23日閲覧。
外部リンク
- Online World of Wrestling
- The Internet Wrestling Database