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座標: 北緯55度01分27秒 西経2度17分33秒 / 北緯55.02417度 西経2.29250度
ハドリアヌスの長城(ハドリアヌスのちょうじょう、英語: Hadrian's Wall、ラテン語: Vallum Aelium)は、イギリスの北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)跡。広義にはローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線でもある。2世紀に第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。
概要
ハドリアヌスの長城はイングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。ローマ帝国は1世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされていた。そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ[1]、122年に工事が開始される。完成には10年の歳月がかかった。作業者は、ローマ帝国の支配地から動員された。領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の一つである。
完成当時は、ニューカッスル・アポン・タインからカーライルまでの118kmにも及んだ。壁の高さは4から5m、厚さ約3m。後の方で建設された部分は約2.5mに狭くなっている。完成当初は土塁で、その後に石垣で補強されたと考えられている。約1.5kmの間隔で監視所も設置されていた。また、6km間隔で要塞も建築され、要塞には500人から1000人のローマ兵が配備されたと推定されている。
この長城は文化的境界ではなく、あくまで軍事上の防衛線として建設されたが、スコットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった4世紀後半以後も、17世紀まで使用されていた。このため、イングランドとスコットランドの国境として半ば固定化し、現在のイングランドとスコットランドの境界線にも大きな影響を与えている。
長城の規模
ハドリアヌスの長城は、長さは約117.5km [2]にも及び、城壁の厚さは、その壁の材質に依ったとされる。(場所により城壁の材質は異なった。)アーシング川東部の城壁は四角に成形された石材により構築されており、壁の幅は約3m、高さは約5mから6mに及んだ。それに対して、アーシング川西部の城壁は、芝や土を固めてできた材質のものであり、幅は6m、高さは3.5mほどであった。この芝壁はのちに建て替えられ、石の壁に換えられた。なお、これらの寸法は城壁のみのものであり、堀や犬走りなどといった付随施設は含まない。長城の中央付近は、3mほどの基盤の上に約2.4mほどの厚さのある壁が聳え立っていたとされ、この一部は現在に至るまで残っている。長城のすぐ南側には堀が掘られ、壁と並行に並ぶ2つの土塁に挟まれるような形で構築された。この堀はVallumと呼ばれるものであり、このラテン語が英語におけるwallの語源になったとされている。このVallumは長城より保存状態が良く現在でも多くの地点で残っている。(城壁は、これまでに多くの石が盗まれてしまっている。)
脚注
関連項目
外部リンク
- 『(ハドリアヌスの長城)』 - コトバンク