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ノーマン・カズンズ

ノーマン・カズンズNorman Cousins1915年6月24日 - 1990年11月30日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ユニオンシティ生まれのジャーナリスト作家広島市特別名誉市民。

ノーマン・カズンズ

ユニオンヒル・ハイスクール、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジを卒業。

1934年、『ニューヨーク・イブニング・ポスト』(現ニューヨーク・ポスト)紙に就職。

1942年から1947年まで評論誌『サタデー・レビュー』の編集長を務める(この時期に同誌は、2万部から65万部まで発行部数を伸ばした)。

1949年、広島を訪れ、広島市への原子爆弾投下の惨状を視察。[1]広島戦災児育成所の原爆孤児たちに強い衝撃を受け、帰国後にルポルタージュ「4年後のヒロシマ」を発表する。

これを契機にして、日本基督教団広島流川教会牧師谷本清らとともに「精神養子運動」(原爆孤児たちの育成のため、米国人が彼らを精神的な養子とし、精神的な親が年額20ドルの養育費を送るというもの)を開始。400名以上の孤児に対する支援を実施する。[2]

また、原爆によってケロイドを負った若い女性たち(いわゆる「原爆乙女」)への義援金を募るため、谷本牧師とその家族をテレビの対面番組『This is Your Life』に出演させ、原爆を投下したB-29エノラ・ゲイ号の副機長だったロバート・A・ルイスと対面させた。この番組の大反響により5万ドルの寄付金が集まり、これにより1955年に原爆乙女25名が米国ニューヨーク市の(マウントサイナイ病院)において治療を受けることとなった。

1956年、原爆乙女の渡米治療や精神養子運動に尽くしたお礼として広島市が油絵1点を寄贈。[3]

1964年、広島市特別名誉市民の称号を受ける。[4]

『サタデー・レビュー』の編集長を引退した後は、カリフォルニア大学医学部大脳研究所教授として、生物学や医療ジャーナリズムを講義。核兵器廃絶運動や環境汚染への反対運動などでも活躍した。

1987年第1回谷本清平和賞受賞。

1990年11月30日、ロサンゼルスにて心臓麻痺で死去。

2003年、広島県の平和記念公園にノーマン・カズンズ記念碑が建立された。

著書

  • 「笑いと治癒力」(岩波書店, (ISBN 4006030304) )
  • 「続・笑いと治癒力―生への意欲 」(岩波書店, (ISBN 4006031041) )
  • 「私は自力で心臓病を治した」(角川書店, (ISBN 4047031712) )
  • 「人間の選択―自伝的覚え書き」(角川書店, (ISBN 4047031569) )
  • 「500分の1の奇蹟」(講談社, (ISBN 4061834304) )
  • 「死の淵からの生還―現代医療の見失っているもの」(講談社, (ISBN 4061151045) )
  • 「ヘッド・ファースト―希望の生命学」(春秋社, (ISBN 4393710223) )
  • 「世界市民の対話―平和と人間と国連をめぐって」(池田大作と共著,聖教新聞社, (ISBN 4412010775) )
  • 「ある編集者のオデッセイ」(早川書房

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “ヒロシマの記録1949 8月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2021年3月17日閲覧。
  2. ^ “ヒロシマの記録1949 9月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2021年3月17日閲覧。
  3. ^ “ヒロシマの記録1956 12月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2021年3月17日閲覧。
  4. ^ “ヒロシマの記録1964 3月”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2021年3月17日閲覧。
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