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トーンルン・シースリット

トーンルン・シースリットラーオ語: ທອງລຸນ ສີສຸລິດ / Thongloun Sisoulith, 1945年11月10日 - )は、ラオスの政治家。博士。副首相兼外相、首相を経て、国家主席およびラオス人民革命党中央委員会書記長(最高指導者の役職)を務める。党政治局序列1位、同国の最高指導者の地位にある。

トーンルン・シースリット
ທອງລຸນ ສີສຸລິດ
Thongloun Sisoulith
トーンルン・シースリット
生年月日 (1945-11-10) 1945年11月10日(77歳)
出生地 ラオス、フアパン県
出身校 ソ連社会科学アカデミー
所属政党 ラオス人民革命党

ラオス人民革命党中央委員会書記長
在任期間 2021年1月15日 -

在任期間 2021年3月22日 -

内閣 トーンルン・シースリット内閣
在任期間 2016年4月20日 - 2021年3月22日
国家主席 ブンニャン・ウォーラチット

外務大臣
内閣 トーンシン・タムマヴォン内閣
ブアソーン・ブッパーヴァン内閣
在任期間 2006年6月8日 - 2016年4月20日
国家主席 チュンマリー・サイニャソーン
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経歴

トーンルンは1945年、ラオス北部のフアパン県に生まれた。ラオス内戦中に、革命運動に参加。1962年、フアパンのネーオ・ラーオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)教育学校に入学し、1969年まで学ぶ。また1962年から69年まで、フアパンのネオ・ラーオ・ハクサート教育課に勤務。1969年、在ハノイ・ネオ・ラーオ・ハクサート代表部に務めた。

1973年ソ連レニングラードの教育大学に留学し、言語学および文学修士号を取得。内戦終結後の1978年に帰国した。同年、ビエンチャン大学の教員に就任し、1979年から1981年は、教育大臣秘書官、教育省渉外課長を歴任した。1981年から1984年、モスクワの社会科学アカデミーに留学し、歴史学博士号を取得。帰国後の1985年から1986年、首相府公共調査局長。

1986年11月の第4回党大会において党中央委員に選出され、党内序列第47位となる。1987年、外務副大臣に任命され、92年まで務めた。

1991年3月の第5回党大会において中央委員に再選し、序列第27位に昇格。1993年、カムタイ内閣で労働・社会福祉大臣に任命され、97年まで務めた。

1996年3月の第6回党大会において中央委員に再選し、第15位となる。1997年12月の国民議会議員選挙で当選し、翌1998年2月、第4期国民議会議員に就任するとともに、国民議会常任委員兼外交委員会委員長に任命された。

2001年3月の第7回党大会において中央委員および政治局員に選出され、序列第9位となる。直後の3月27日、ブンニャン内閣で副首相兼計画・協力委員会委員長に任命。2002年2月、選挙で当選し、同年4月9日から第5期国民議会議員を務める。2004年8月、委員会組織の改称により副首相兼計画・投資委員会委員長となる。他に、投資・協力委員会 (CIC) 委員長、ラオス国家エネルギー委員会 (LNCE) 委員長を兼ねた。

2006年3月の第8回党大会において政治局員に再選され、序列第8位となる。同年4月、第6期国民議会議員選挙にビエンチャン選挙区から立候補し、当選した[1]。6月8日、第6期国民議会議員に就任するとともに、ブアソーン・ブッパーヴァン内閣の副首相兼外務大臣に任命された。2010年12月、ブアソーン首相の辞任後も、トーンシン内閣で副首相兼外務大臣に留任した。

2011年3月の第9回党大会において政治局員に再選し、序列第4位となる。

2016年1月、第10回党大会において政治局員に再選し、序列第2位に昇格。同年4月20日、第8期国民議会第1回会議において首相に選出された[2][3]

2021年1月、第11回党大会において、政治局序列1位となり党書記長(最高指導者の役職)に選出され、ブンニャンから最高指導者の地位を継承した[4]。また同年3月22日の第9期国民議会初回会合では国家主席の座もブンニャンより継承した[5]

政治姿勢

計画・協力委員会委員長として経済開放政策を推進した[6]。また外務大臣としては、前任者のソムサワート・レンサワットが親中国路線であったのに対し、トーンルンは「よくバランスがとれた外交政策」を展開していると見られている[7]

人物像

ラーオ語に加え、英語ロシア語ベトナム語が話せる「国際派」[6]。趣味はゴルフ

家族

ナーリー・シースリット (Naly SISOULITH) 夫人との間に、男子2人と女子1人をもうけた。

脚注

  1. ^ ヴォーラペット(2010年)、180ページ
  2. ^ SomxaySengdara (2016年4月21日). “New leaders take up their posts”. Vientiane Times. http://www.vientianetimes.org.la/FreeContent/FreeConten_New90.htm 2016年4月21日閲覧。 
  3. ^ 「ラオス大統領にブンニャン氏 トンルン氏が首相」 『朝日新聞』 2016年4月20日
  4. ^ “Vientiane Times”. www.vientianetimes.org.la. 2021年1月15日閲覧。
  5. ^ “菅総理大臣発トンルン・ラオス人民民主共和国国家主席及びパンカム同首相宛祝辞の発出”. 日本国外務省 (2021年3月22日). 2021年3月23日閲覧。
  6. ^ a b 日本国外務省トンルン略歴
  7. ^ 藤村(2009年)、102-103ページ

参考文献

  • 『アジア動向年報』アジア経済研究所、2004年版
  • (山田紀彦)「ラオス人民革命党第7回大会 ― 残された課題 ― 」(石田暁恵)編『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス ― 新たな課題への挑戦』アジア経済研究所、2002年3月
  • (藤村和広)「今日のラオスに於ける中国の進出 ― 備忘録:現地報道の定点観測(2007年3月から2009年2月まで) ― 」『立命館国際地域研究』第30号、2009年12月
  • (カム・ヴォーラペット)『現代ラオスの政治と経済』めこん、2010年

外部リンク

  • H.E. DR. THONGLOUN SISOULITH(国際連合ラオス政府代表部)(英語)
  • H.E. Mr. THONGLOUN SISOULITH DEPUTY PRIME MINISTER AND MINISTER OF FOREIGN AFFAIRS, THE LAO PEOPLE'S DEMOCRATIC REPUBLIC(ラオス外務省)
  • トンルン・シースリット副首相兼外務大臣略歴(日本国外務省)
先代
ブンニャン・ウォーラチット
ラオス人民革命党中央委員会書記長
2021年 -
次代
(現職)
先代
トーンシン・タムマヴォン
ラオス人民民主共和国
首相
2016年 - 2021年
次代
パンカム・ウィパーワン
先代
ソムサワート・レンサワット
ラオス人民民主共和国
外務大臣
2006年 - 2016年
次代
(サルムサイ・コンマシット)(英語版)
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