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撫養城(むやじょう)は、徳島県鳴門市撫養町林崎にある日本の城跡。別名は岡崎城、林崎城。「岡崎城跡」として市指定史跡に指定されている。
概要
築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。
その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。
天正13年(1585年)、四国征伐により蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、徳島城の支城を9城置き(阿波九城)、益田正忠を撫養城の城番としてこれを守らせた。
現在の遺構
曲輪や石垣の跡が残っている。城跡のある妙見山は妙見山公園として整備されており、頂上近くには三層の(模擬天守)が建てられている(本来の撫養城には天守は無かった)。
天守内部は徳島県立鳥居記念博物館(鳴門市出身の人類考古学者、鳥居龍蔵の業績を記念した博物館)となっていたが2010年(平成22年)11月に徳島県文化の森総合公園へ移転した。
2016年(平成28年)3月より旧徳島県立鳥居記念博物館を地域の交流施設であるトリーデなるととしてリニューアルオープンした。
トリーデなると
関連項目
外部リンク
- - ウェイバックマシン(2015年6月28日アーカイブ分)