トマス・タウンゼンド閣下(英語: Hon. Thomas Townshend、1701年6月2日 – 1780年5月21日)は、グレートブリテン王国の政治家。庶民院議員を50年以上務めたことで知られる。
生涯
第2代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドと1人目の妻エリザベス・ペラムの次男として、1701年6月2日に生まれた[1]。兄に第3代タウンゼンド子爵チャールズ・タウンゼンドがおり、弟に(ウィリアム・タウンゼンド)と(ロジャー・タウンゼンド)がいる[1]。また初代タウンゼンド侯爵ジョージ・タウンゼンド、チャールズ・タウンゼンド、(初代ベイニング男爵チャールズ・タウンゼンド)はいとこである。イートン・カレッジとケンブリッジ大学キングス・カレッジで教育を受けた[1][2]。
1722年から1727年まで(ウィンチェルシー選挙区)選出の庶民院議員を務めた[1]。1727年イギリス総選挙では(ヘイスティングス選挙区)と(ケンブリッジ大学選挙区)で出馬、両方とも当選したがケンブリッジ大学選挙区の代表となることを選び、以降1774年まで同選挙区選出の庶民院議員を務めた。また、父の秘書を数年間務めたほか、1727年8月12日から1780年まで(国庫会計係)を務めた[1]。
1730年5月2日、(ジョン・セルウィン)の娘アルビニア(Albinia、1739年9月7日没)と結婚、3男2女をもうけた[3]。息子のトマスは政治家になり、1789年に(シドニー子爵)に叙された[1]。
1752年、ケントの(シドカップ)近くにある(フログナル・ハウス)を購入、死後は息子トマスが相続した[4]。
1780年5月に78歳で死去した[1]。
脚注
- ^ a b c d e f g Rigg, James McMullen (1899). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 57. London: Smith, Elder & Co. p. 116. . In
- ^ "Townshend, Thomas (TWNT720T)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Sedgwick, Romney R. (1970). "TOWNSHEND, Hon. Thomas (1701-80), of Frognal, Kent.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年1月29日閲覧。
- ^ "Frognal House". London Parks & Gardens (英語). 2023年1月29日閲覧。
(グレートブリテン議会) | ||
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先代 (ロバート・ブリストー) ジョージ・ドディントン | 庶民院議員((ウィンチェルシー選挙区)選出) 1722年 – 1727年 同職:(ロバート・ブリストー) | 次代 (ロバート・ブリストー) (ジョン・スクロープ) |
先代 アーチバルド・ハチソン (サー・ウィリアム・アシュバーナム準男爵) | 庶民院議員((ヘイスティングス選挙区)選出) 1727年 – 1728年 同職:(サー・ウィリアム・アシュバーナム準男爵) | 次代 (トマス・ペラム) (サー・ウィリアム・アシュバーナム準男爵) |
先代 ディクシー・ウィンザー閣下 トマス・ウィロビー | 庶民院議員((ケンブリッジ大学選挙区)選出) 1727年 – 1774年 同職:(エドワード・フィンチ) 1727年 – 1768年 チャールズ・ヨーク 1768年 – 1770年 ウィリアム・ディ・グレイ 1770年 – 1771年 (リチャード・クロフテス) 1771年 – 1774年 | 次代 (リチャード・クロフテス) グランビー侯爵 |
公職 | ||
先代 (ジョージ・トレビー) | (国庫会計係) 1727年 – 1780年 | 次代 (ジョン・ジェフリーズ・プラット) |
先代 (サー・エドワード・ウォルポール) | (アイルランド主席政務官) 1739年 | 次代 ヘンリー・ビルソン=レッグ |