このページ名「テラ・ノヴァ島」は(暫定的なもの)です。 代案としてはテラ・ノヴァ島嶼郡、テラ・ノヴァ諸島があります。(2016年2月) |
テラ・ノヴァ島(テラ・ノヴァとう、英語: Terra Nova Islands)とは、ソモフ海(南極海)に存在したとされた2つの島の総称。(疑存島)の一つとされる。テラ・ノヴァ島は、東南極・オーツ海岸、ソモフ海に面する(ウィリアムソン・ヘッド)の北、約26km(14国際海里)に存在するとされた。
現地名: Terra Nova Islands | |
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名の由来 | 南極船・(テラ・ノヴァ) |
地理 | |
場所 | ソモフ海(南極海) |
座標 | 南緯68度53分24秒 東経157度57分0秒 / 南緯68.89000度 東経157.95000度座標: 南緯68度53分24秒 東経157度57分0秒 / 南緯68.89000度 東経157.95000度 |
島数 | 2 |
位置 | |
追加情報 | |
実際には存在しない疑存島 |
歴史
オーストラリアの科学者、フィリップ・ローをリーダーとする(オーストラリア国立南極調査探検隊)(英語: Australian National Antarctic Research Expeditions、ANARE)の南極船・(マッガ・ダン)(Magga Dan)が、1962年3月8日に初めて観測した。この結果を受けて、(オーストラリア南極名称委員会)(英語: Antarctic Names Committee of Australia、ANCA)が、南極船・(テラ・ノヴァ)(英語: Terra Nova)にちなんでテラ・ノヴァ島(英語: Terra Nova Islands)と命名した。由来となった南極船・テラ・ノヴァは、1910年から1913年に行われたイギリスの南極遠征・テラノバ遠征で使用された船であり、同遠征の船隊リーダーでもあった。同遠征で、イギリス海軍大尉の(ハリー・ペンネル)は、オーツ海岸を発見し、海岸近隣の観測点を海図に示すという業績を残している。
1989年にドイツの第5回(ドイツ南極ノースヴィクトリアランド遠征)(英語: German Antarctic North Victoria Land Expedition V, GANOVEX V)で、テラ・ノヴァ島への上陸と地図の作成を計画した。ところが、地質学者達がヘリコプターを使って、記録されていた経緯度の位置へ赴いたものの、その地点に島の影すらなく、周辺海域においても島は発見されなかった。また、研究船の(ポーラー・クイーン)(英語: Polar Queen)が音響測深によって、島があったとされた海域の水深を測定すると、約170メートルから355メートルという結果であった。その後、第7回・第8回のドイツ南極ノースヴィクトリアランド遠征においても同じ海域への調査が行われ、島が存在しないことが確認されている[1]。
テラ・ノヴァ峡谷
テラ・ノヴァ峡谷(英語: Terra Nova Canyon)は、テラ・ノヴァ島のあったとされた場所の近くに存在する海底谷である。位置は、南緯69度0分 東経159度0分 / 南緯69.000度 東経159.000度。
脚注
- ^ Roland, Norbert W. (2009). Antarktis - Forschung im ewigen Eis. Heidelberg: (Spektrum Akademischer Verlag). pp. 242–244. ISBN (978-3-8274-1875-3)
この記事にはアメリカ合衆国政府の著作物であるアメリカ地質調査所が作成した次の文書本文を含む。"テラ・ノヴァ島" (Geographic Names Information Systemより)