艦歴
1911年4月4日起工。1912年4月30日進水。1913年3月竣工。
(第1戦艦戦隊)に配属後、1913年7月に地中海の第1軽巡洋艦戦隊に転属。1913年9月から1914年終わりまでは第2軽巡洋艦戦隊に所属。
第一次世界大戦勃発前後のゲーベン追跡戦に参加。1915年2月にダーダネルスへ送られ、1915年4月25日にはXビーチで戦艦「インプラカブル」による攻撃を援護。
1915年5月下旬、イタリアのブリンディジに到着[1]。同年6月8日、「ダブリン」はイタリア巡洋艦「ニーノ・ビクシオ」、「クアルト」などとともに存在すると考えられたアルバニア沿岸の潜水艦基地攻撃に派遣されたが実際は何もなかった[2]。そのため、「ニーノ・ビクシオ」などによる灯台破壊の後、帰途に就いたが、その途中でオーストリア=ハンガリー帝国潜水艦「U4」に発見されて攻撃を受けた[2]。6月9日9時32分、魚雷1発が「ダブリン」の左舷に命中[2]。缶室に浸水し、13名の戦死者を出したが、自力航行は可能であった[2]。「ダブリン」はブリンディジへ帰投後ターラントへ移り、そこで入渠した[2]。
1916年から1919年まで第2軽巡洋艦戦隊に所属。ユトランド沖海戦に参加し、軽巡洋艦「サウサンプトン」とともに敵駆逐艦を撃沈するが、「ダブリン」も被弾損傷し戦死者3名負傷者27名を出した。修理には6月17日まで要した。
戦後はアフリカ艦隊や地中海に配備され、1924年に予備役となる。1916年7月にスクラップとして売却されるが、解体業者へ向かう途中で座礁。1927年7月に浮揚、同年解体。
脚注
参考文献
- Zvonimir Freivogel, The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, Despot Infinitus, 2019, (ISBN 978-953-8218-40-8)