歴史
先代王のカーウィラと同じく、ランパーン県の知事、チャーイケーオの息子で三男である。1782年チエンマイの副王に任命させる。
猛将として知られ、1802年ビルマに寝返ったムアンサートの国主を拿捕しバンコクに送る。また、1804年にはチエンセーンからビルマ軍を追い払いチエンセーンをシャムの図版に加えた。これらの功績により、カーウィラの死後の1816年、チエンマイの国王として認められた。
国王になった後、ラーマ2世に白象を送ったことで、白象王とよばれ親しまれた。その治世はワット・プラシン、(ワット・プラタートシーチョームトーン)を修復、城壁を整備するなど国内のインフラ整備に力を入れた。
子孫
- マホータラプラテート
- (プラヤー・ラッタナケート (サムセーン)) (พระยารัตนเขตต์ (คำแสน)) ・・・チエンラーイの国主。
- ノーイノーカム (เจ้าอุปราช น้อยหน่อคำ) ・・・ 第四子。チエンマイの副王。プッタウォンの弟・(ノーイカーウィラ) (เจ้าบุรีรัตน์ น้อยกาวิละ) の孫であるブンナーク姫 () と結婚。孫は、พันตำรวจเอก เจ้าไชยสงคราม สมพมิตร ณ เชียงใหม、チャイソンクラーム王子((ソムパミット・ナ・チエンマイ)警察大将)の祖父。
- シーピムパー王女 (เจ้าหญิงศรีปิมปา) ・・・ファーンの国主、(プラヤー・マヒッティウォンサー (ナーンマハーテープ)) (พระยามหิทธิวงศา (หนานมหาเทพ))の母。
- ブンパン王女 (เจ้าหญิงบุญปั๋น) ・・・ファーンの国主、(プラヤー・マヒッティウォンサー (ノーイマハーウォン)) (พระยามหิทธิวงศา (น้อยมหาวงศ์))の母。
- ケーオヤウォンカム王女 (เจ้าหญิงแก้วยวงคำ) ・・・プーキエン王子と結婚。チエンラーイの国主、(プラヤー・ラッタナケート (スヤ)) (พระยารัตนเขตต์ (สุยะ)) の母。
参考文献
- The Chiang Mai Chronicle 2nd Edition, trans. David K. Wyatt and (Aroonrut Wichienkeeo), Chinag Mai: Silkworm Books, 1998, (ISBN 9747100622)
- Ongsakul, Sarassawadee, History of Lan Na, trans. Chitraporn Tanratanakul, Chian Mai: Silkworm Books, Thai text 2001, English text 2005, (ISBN 9749575849)
- นาวาอากาศเอก คัมภีร์ คัมภีรญาณนนท; เจ้านายฝ่ายเหนือ - Global Group