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ソン・サン

ソン・サン(Son Sann, 1911年10月5日 - 2000年12月19日)は、カンボジア政治家。1960年代に王制(サンクム体制)下の首相を務め、内戦時代は(クメール人民民族解放戦線) (FLNPK) 議長、三派連合政府首相。和平後は、憲法制定議会[1]議長、カンボジア王国最高顧問、(仏教自由民主党)議長。

ソン・サン
សឺន សាន
Son Sann
生年月日 1911年10月5日
出生地 フランス領インドシナ連邦プノンペン
没年月日 (2000-12-19) 2000年12月19日(89歳没)
死没地 フランスパリ
所属政党 サンクム
(カンプチア民主党)
(クメール人民民族解放戦線)
(仏教自由民主党)
(ソン・サン党)
親族 子:(ソン・スベール)(下院議員)

第26代首相
在任期間 1967年5月1日 - 1968年1月31日
元首 ノロドム・シハヌーク

初代首相
在任期間 1982年7月22日 - 1992年10月23日
大統領 ノロドム・シハヌーク

憲法制定議会議長
在任期間 1993年 - 1998年
SNC議長 ノロドム・シハヌーク
(テンプレートを表示)

経歴

1967年、シハヌークにより首相に任命されるがわずか7ヶ月で解任される。1970年の右派ロン・ノル将軍によるクーデターでパリに亡命。1980年頃にパリから帰国してFLNPKを組織、反ベトナム(反カンプチア人民共和国)、反ヘン・サムリン政権の民族運動を始める。右派色が強く当初、(三派連合)に極左ポル・ポト派が含まれている事から反対していたが、最終的に連合に同意する。

だが虐殺戦争犯罪色の強いポル・ポト派、道義的正統性はあったが軍事的に弱体なシハヌーク派(フンシンペック)に対し、明確な反共勢力としてアメリカタイの支援を受けつつ相応の軍事力を有してはいたが結集力が弱く、内紛も多かった。

1993年6月、カンボジア最高国民評議会国際連合カンボジア暫定統治機構の下で行われた憲法制定議会選挙を経てその議長に選出され、同年9月の新憲法発効まで務めた。

1998年、仏教自由民主党を離党し、(ソン・サン党)を結成して議長に就任。1999年1月15日、ソン・サン党はフンシンペックに吸収合併される。

2000年12月19日、フランス・パリで心臓発作により死去。同年12月31日、シハヌーク国王の主催により、プノンペン市内で葬儀が行われた。

脚注

  1. ^ 1991年10月のパリ和平協定に基づき設置。1993年9月の新憲法第136条の規定により、憲法制定議会は国民議会に移行。

参考文献

関連項目

  • (民主カンボジア#三派連合政府)


先代
チア・シム
(カンプチア人民共和国
国民議会議長)
  カンボジア
憲法制定議会議長
1993年
次代
チア・シム
(カンボジア王国
国民議会議長)
先代
キュー・サムファン
(民主カンプチア)
  民主カンプチア連合政府
首相
1982年 - 1992年
次代
廃止
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