この記事には(独自研究)が含まれているおそれがあります。 |
スポークン・ワード(Spoken word)は、歌詞、詩、物語を話す文学の芸術、または芸術的パフォーマンス。しばしば音楽の演奏がつくこともあるが、話者の優位は保たれている。
言葉を話すパフォーマンスで最も一般的なのは(パフォーマンス・ポエトリー)で、これは詩人が既に発表された詩、ないしは声に出すことを目的に特別に書かれた詩を読むものである。他には、近年人気を得た、政治的社会的な解説を、通常のスピーチより芸術的に(ゆっくりと、静かに、散文体で)読むようなものもある。スポークン・ワードのアーティストは詩人、ミュージシャンである場合が多い。1980年代後半から1990年代初期、アーティストがキャバレー形式で喧嘩腰に身構える、(ポエトリー・スラム)が出現した時は悪評を得た。
1990年代のスポークン・ワード史
1990年代になって、アメリカの詩の世界で、スポークン・ワードに対する関心が高まった。しかし、これをもって、最初のスポークン・ワードの出現とは言えない。スポークン・ワード、または詩の朗読は、報償を目的に自作の詩を暗唱する吟遊詩人やストーリーテラーの時代に創始されたのである。印刷技術が発明されたが、パフォーマンス・ポエトリーが出版にすげ替わったわけではない。なぜなら、仕事の有用性は増加する見込みがあったのだ。1950年代および1960年代、スポークン・ワードが復活した。白人男性作家のコミュニティ、いわゆるビート・ジェネレーションが、彼らの反学問的な信念、社会的規範への嫌悪を表現するのに、スポークン・ワードを用いはじめたのだ。しかし、1990年代までには、スポークン・ワードは再びメイン・ストリームの水面下に沈んでいった。
1990年代になって、力強く、アグレッシブで、率直な詩のスタイルが、新たなスポークン・ワードを生んで、メイン・ストリームに浮上した。ビート・ジェネレーションとは異なり、政治的な動機を必要としないスポークン・ワードの出現であった。このムーヴメントは、パフォーマーの多様化、アマチュア芸人の奮起、積極的で寛容力のあるメッセージの発信をもたらした。ようするに、このムーヴメントは詩を大衆に返したのである。この芸術形式はテレビにマッチしていて、マギー・エステップ、レッグ・E・ゲインズ、ヘンリー・ロリンズ、ジョン・S・ホール、ダナ・ブライアントといった詩人たちが、スポークン・ワードのアーティストとして称賛を得た。1990年代中頃、MTVはスポークン・ワードの需要に注目し、このムーヴメントの売れっ子たちを出演させた「Spoken Word Unplugged」というショー番組を作ったが、大ブームとなるまでには至らなかった。この世代のアーティストたちのほとんどは、小説など他分野に流出した。ところでこの時期、1つの懸念があった。ラップとスポークン・ワードの境界線はどこにあるのか、ということである。一部のスポークン・ワードのアーティストは、スポークン・ワードに較べてラップは音楽的すぎると主張した。「ラップは歌のようなもの、スポークン・ワードは詩のようなもの」(ジョン・S・ホール)。またある人は、スポークン・ワードは口を使って行われるすべてのパフォーマンスの言葉づかいを網羅するものだと言った。アーティストと学者たちの間で議論はあったものの、一般の人々は、スポークン・ワードとラップは、2つの異なる表現形式と理解した。
もっともなことではあるが、スポークン・ワードの新しい魅力はアカデミックな批評を逃れることはできなかった。何人かの学者がこの新しい詩の形式に注目し、 American Academy of Poets会長のジョナサン・ガラッシは「書かれた言葉のカラオケのよう」と言った。他にも、スポークン・ワードの徹底した大衆化は、主流メディアの破壊と、ムーヴメントの商品化を引き起こすという意見や、スポークン・ワードを継続していくことのはできないだろうと感じる人もいた。ある人は、録音や出版で利益を得ることはできないとも言った。彼らはスポークン・ワードが短命に終わると主張したが、その主張は10年を経過して、MTVの関心が薄れたことにより、的を射ているように見える。しかし、1990年代後半になっても、スポークン・ワードは死に至ってはいない。またしてもメインストリームの水面下で息をひそめているのである。
日本におけるスポークン・ワード
日本ではスポークン・ワードはメイン・ストリームではあまり浸透していない。
しかし、佐野元春のように積極的にスポークン・ワードに取り組むアーティストもおり、佐野は自身がスポークン・ワードをやる理由を「パフォーマーがどの国籍に属していようと一定の理解が得られるはずだという確信のもと、それを試してみました」「僕は自分の母国の言葉に誇りをもっています。母国語でスポークンワーズすることが、自分にとってはとても大事です。原語の理解を超えて、他の文化圏の人に通じるものがあるはずだ、という確信がどこから生まれるかといえば、それは母国語に対する信頼にあると思います」[1]と述べている。
参考文献
- Spoken Word Movement
- Music & the Spoken Word
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ 2017年のBeat-itude -佐野元春、ニューヨークを往くMoto's Web Server
外部リンク
- [1]
- Is There A Future For Spoken Word? @ dropmagazine.com
- Video of a spoken word piece
- unique spoken word & improvised music