公益財団法人スターダンサーズ・バレエ団(スターダンサーズ・バレエだん)は、1965年に創立された東京都港区南青山を拠点とするバレエ団。理事長:(石坂泰彦))。略称はスタダン、SDB。
当初はアメリカン・バレエを上演することを目的として、寄せ集めの人材で構成された。コンテンポラリー作品に特色がある。長らく代表は太刀川瑠璃子だったが、2003年秋、小山久美にバトンタッチされた。芸術監督に、厚木凡人、(鈴木稔)など、個性的な人材が集まっており、クラシック作品中心の日本のバレエ団では異色の存在であろう。1996年にピーター・ライトを芸術顧問に迎えた。
歴史・沿革
- 1964年「スター・ダンサーの競演によるバレエ特別公演」(日比谷公会堂)
- 関直人の「ワルツ・ノーブル・センチメンタル」「帯」「白の旋律」の3作品
- 太刀川瑠璃子の最後の舞台。以後、バレエ団経営の裏方に回る。
- ニューヨークから帰国した小川亜矢子も参加する。
- 1965年「アントニー・チューダー・バレエ特別公演」
- 「暗い悲歌」「火の柱」「底流」「リラの園」「小さな即興曲」アントニー・チューダー特別招聘
- スターダンサーズ・バレエ・カンパニー発足
- 服部・島田バレエ団のスタジオを借りた。
- 当初は、太刀川瑠璃子、小川亜矢子の2名代表体制。
創設者
太刀川瑠璃子(1927-2008、東京都出身、東京女学館卒)は、8歳より(小沢恂子)舞踊研究所で舞踊を始め、戦後、小牧正英に師事、小牧バレエ団のプリマを務めた[1]。小牧の妻でもあったが1963年に離婚、退団[2]。1964年、バレエ団の所属に関係なく、岡本佳津子、小川亜矢子ら当時のトップダンサーを集めたガラ公演「スター・ダンサーの競演によるバレエ特別公演」を開催し、1965年には同じくダンサー競演によるアントニー・チューダー・バレエ特別公演を開催、当初は公演のたびにダンサーを集めていたが、その後スターダンサーズ・バレエ団を創立[2]。日本のバレエ普及・発展に尽くし、昭和音楽芸術学院校長を経て同校の後身昭和音楽大学の副学長も歴任した[1]。俳優の太刀川寛は弟。
レパートリー
- ピーター・ライト版
- ジョージ・バランシン振付作品
- 「ウエスタン・シンフォニー」
- 「フォー・テンペラメント」
- 「コンチェルト・バロッコ」
- 「スコッチ・シンフォニー」
- 「セレナーデ」
- 「錫の兵隊」
- 「ドニゼッティ・ヴァリエーション」
- 「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」
- ウィリアム・フォーサイス振付作品
- 「ステップテクスト」
- アントニー・チューダー振付作品
- 「小さな即興曲」
- 「オッフェンバック・イン・ザ・アンダーワールド」
- 「暗い悲歌」
- 「葉は色あせて」
- 「火の柱」
- 「底流」
- 「リラの園」
- ケネス・マクミラン振付
- 「エリート・シンコペーション」
- 「コンチェルト」
- ナチョ・ドゥアト
- 「ナ・フローリスタ」
- ジェローム・ロビンス振付作品
- 「牧神の午後」
- 「グラン・パ・クラシック」
- 「パキータ」
- (イブ・アンダーソン)振付作品
- 「シンプル・シンフォニー」
- 「パキータ」
- クルト・ヨース
- 「緑のテーブル」
- 厚木凡人振付作品
- 「春の祭典」
- 「三重奏」
- 「ゆるやかなさかみち」
- 「舗道のある館」
- 鈴木稔振付作品
- 尺田知路振付作品
- 「化粧室」
- 関直人振付作品
- 「絹」
- 遠藤善久振付作品
- 「高熱」
- 「からす」
- 「地平線のドーリア」
- 「輝夜姫」
- 千葉昭則振付作品
- 「バレエ・アルバムII」
団員
脚注
外部リンク
- 公益財団法人スターダンサーズ・バレエ団