ジョルジェ・ジョルジェスク(George Georgescu, 1887年9月12日 - 1964年9月1日)は、ルーマニアの指揮者[1]。
経歴
1887年、スリナ生まれ。ブカレスト音楽院で(コンスタンティン・ディミトレスク)にチェロ、(ディミトリ・キリアク)に音楽理論、(アルフォンソ・カスタルディ)に和声と対位法を学ぶ。1911年に音楽院を卒業後、ベルリンでフーゴー・ベッカーにチェロを師事し、1912年からアンリ・マルトーの弦楽四重奏団に加入して演奏活動を行うようになった。1916年に腕の故障でチェリストとしての活動を停止したが、リヒャルト・シュトラウスの口添えで1918年にアルトゥル・ニキシュに指揮法を師事し、その年のうちにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して指揮者に転身した。
1920年にルーマニアに戻り、(ブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団)の首席指揮者に就任した。第二次世界大戦中は、ドイツ側についたルーマニア国内でも演奏活動を行い、1944年の政変でルーマニアが連合国側につくと、ナチスへの加担を疑われて(ブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団)の職を解任された[2]。
1953年にナチスへの加担の容疑が晴れてからは、ブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の座に返り咲いた。1964年にブカレストにて死去。
註
- ^ “”. 2009年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年3月29日閲覧。
- ^ ジョルジェ・エネスクは、ジョルジェスクにかけられた嫌疑に対して抗議していた。(アラン・ショティル・ファニ「ジョルジュ・ジョルジェスク」『セザール・フランク 交響曲ニ短調 リヒャルト・シュトラウス ティル・オイレンシュピーゲル』ジョルジュ・ジョルジェスク指揮ジョルジュ・エネスコ・フィル、Electrecord&東武トレーディング ERT-1026-2の解説)