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ジャクソン・ブラウン

ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne, 1948年10月9日 - )は、ドイツ出身、アメリカ合衆国ロサンゼルス育ちのミュージシャンシンガーソングライター

ジャクソン・ブラウン
Jackson Browne
USA・ロサンゼルス公演 (2017年1月)
基本情報
生誕 (1948-10-09) 1948年10月9日(74歳)
西ドイツ
バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルク
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ロックフォーク
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ギターピアノ
活動期間 1966年 - 現在
レーベル アサイラム・レコード
エレクトラ・レコード
Inside Recordings
共同作業者 イーグルス、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、クラレンス・クレモンズ他
公式サイト jacksonbrowne.com

米西海岸を代表するフォークシンガーとして知られる。2004年ロックの殿堂』入り。支持政党は民主党

バイオグラフィー

1970年代まで

 
1977年頃のフォト
 
(1976年)

生まれは西ドイツハイデルベルクであるが、1951年に家族でロサンゼルスに移住している。父親はピアノ弾きをしていたため、家ではいつも音楽が流れているような環境だった。また、あまり知られていないが弟のセヴェリンも音楽活動をしている。ブラウンにピアノを教えたのも彼であり、ブラウンは彼のことを「僕の音楽のヒーロー」と呼んでいる。66年、彼はニッティ・グリッティ・ダート・バンドに加入しゴールデン・ベアで演奏、ダート・バンドは後にブラウンの曲をカバーしている[1]

1967年10月、ニコのデビュー・ソロ・アルバム『Chelsea Girl』に「青春の日々(These Days)」が収録される。以来、イーグルスニッティー・グリッティー・ダート・バンド、トム・ラッシュなどが作品を取り上げ、デビュー前からその名は広く知られていた。

1972年アサイラム・レコードからアルバム『ジャクソン・ブラウン・ファースト』でメジャー・デビューを果たす。同アルバムに収録されている「ドクター・マイ・アイズ」は、全米シングル・チャート第8位のヒットとなった。

以後、1974年レイト・フォー・ザ・スカイ』が14位、1976年プリテンダー』が5位、1978年孤独なランナー』が3位と着実にチャート成績を伸ばし、1980年にリリースしたアルバム『ホールド・アウト』で初の全米チャート1位を獲得する。1970年代のブラウンの作品は、日々の生活の中で感じる苦悩や葛藤、心の痛みなどを歌っており、同世代の人々から高い支持を得た。作詞家としての評価も高く、ローリングストーン誌から「1970年代で最も完成された作詞家」と評された。

1980年代

 
ノルウェー・ドランメン公演 (1986年11月)

1982年、映画『初体験/リッジモント・ハイ』のサウンドトラックに提供された「誰かが彼女を見つめてる(en:Somebody's Baby)」が全米7位となるヒットを記録(ブラウンのオリジナル・アルバムには未収録)。

1983年にはアルバム『愛の使者』をリリース。アルバム・タイトル曲でもある「愛の使者」は、当時のレーガン政権下で右傾化するアメリカを皮肉った内容であった。ブラウンは非常にリベラルな政治思想の持ち主で、民主党の熱心な支持者としても有名である。それ以降、1986年『ライヴズ・イン・ザ・バランス』、1989年『ワールド・イン・モーション』と徐々に政治的な内容を多く含む曲を発表するようになる。音楽的な評価は高かったが、セールスには結びつかなかった。

また、1979年スリーマイル島原子力発電所で起きた放射能漏れ事故に抗議するイベント「(ノー・ニュークス)」を企画したり、1985年には当時ブルース・スプリングスティーンの(Eストリート・バンド)に在籍したスティーヴ・ヴァン・ザントが、南アフリカ共和国人種隔離政策が続くことに抗議するために企画したチャリティ・シングル「サン・シティ」およびアルバム『(サン・シティ)』に参加している。日本では、1986年に行われたチャリティ・コンサート「(ジャパン・エイド)」に参加した。レコード制作を通して社会的な発言を行うだけではなく、実際に様々な行動を起こして積極的に活動している[2]

1990年代

1990年代に入ってからは1993年『アイム・アライブ』、1996年『ルッキング・イースト』で内省的な曲作りに回帰している。また、80年代半ば頃からアルバム制作のインターバルが長くなっており、あまり多くの作品を発表していない。90年代以降はスタジオワークよりもコンサート・ツアーに比重が置かれている。曲作りのスタイルも、バンド・メンバーと共にセッションをしながら練り上げていくような形へと変化していく。また、チャリティー・イベントへの参加や、様々なアーティストとのジョイント・コンサートなども積極的に行っている。

1997年には初のベスト・アルバム『ベスト・オブ・ジャクソン・ブラウン』を発表、新曲も収録されている。1999年、自主レーベル「Inside Recordings」を設立した。

2000年代

 
(2005年)

2002年、6年振りとなるオリジナル・アルバム『ネイキッド・ライド・ホーム』を発表。2004年には、親友のブルース・スプリングスティーンのプレゼンターによりロックの殿堂入りを果たしている[3]

2005年にはソロ・アコースティック・ツアーの模様を収録したライブ盤『ソロ・アコースティック第一集』、2008年には『第二集』を発売している。そして、同じく2008年には6年振りのスタジオ作品『時の征者』を発表し、来日公演も行っている。

また、2004年2008年のアメリカ大統領選では、それぞれ民主党のジョン・ケリーバラク・オバマへの支持を呼び掛けている。2008年の大統領選で共和党ジョン・マケイン候補が「孤独なランナー」を無断で選挙CMで使用したとして、マケイン陣営を提訴した(その後、マケイン陣営が謝罪し和解)。

2010年には、シェリル・クロウとのジョイント・コンサートという形で来日している。前半がブラウン、後半がクロウ、最後に2人で競演という流れだった。

2011年には、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故を受け、「M.U.S.E.」として32年振りとなる反原発コンサートを開催。、ボニー・レイットドゥービー・ブラザーズジョン・ホール喜多郎らが参加した。

2015年3月、14thアルバム『スタンディング・イン・ザ・ブリーチ』に伴う7年ぶりの来日公演[4]

2017年10月、デビュー45周年を記念した来日公演を開催[5]

人物像・交友関係

 
(2008年)

アルバム・ディスコグラフィ

  • 1972年 (ジャクソン・ブラウン・ファースト) Saturate Before Using (53位)
  • 1973年 フォー・エヴリマン For Everyman (43位)
  • 1974年 レイト・フォー・ザ・スカイ Late For The Sky (14位)
  • 1976年 プリテンダー The Pretender (5位)
  • 1977年 孤独なランナー Running On Empty (3位)
  • 1980年 (ホールド・アウト) Hold Out (1位)
  • 1983年 (愛の使者) Lawyers In Love (8位)
  • 1986年 (ライヴズ・イン・ザ・バランス) Lives In The Balance (23位)
  • 1989年 (ワールド・イン・モーション) World In Motion (45位)
  • 1993年 (アイム・アライブ) I'm Alive (40位)
  • 1996年 ルッキング・イースト Looking East (36位)
  • 1997年 (ベスト・オブ・ジャクソン・ブラウン) The Next Voice You Hear : The Best Of Jackson Browne
  • 2002年 (ネイキッド・ライド・ホーム) The Naked Ride Home (36位)
  • 2004年 (ヴェリー・ベスト・オブ・ジャクソン・ブラウン) The Very Best Of Jackson Browne (46位)
  • 2005年 (ソロ・アコースティック第一集) Jackson Browne Solo Acoustic Vol.1 (55位)
  • 2008年 (ソロ・アコースティック第二集) Jackson Browne Solo Acoustic Vol.2 (24位)
  • 2008年 (時の征者) Time The Conqueror (20位)
  • 2014年 スタンディング・イン・ザ・ブリーチ Standing In The Breach
  • 2021年 (ダウンヒル・フロム・エヴリホェア) ”Downhill From Everywhere”

※順位はすべてビルボード200による最高順位

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ウィルソン・ピケット、アレサ・フランクリンなどソウルのレコード、CDを多数発表した。
  2. ^ ノーニュークスにも、共に出演している。
  3. ^ 78年に「ワーウルブズ・イン・ロンドン」が代表曲。

出典

  1. ^ Jackson Browne Biography2020年12月19に閲覧
  2. ^ “【インタビュー】ジャクソン・ブラウン「人生は永遠じゃないんだ、と思うよ」”. BARKS (2016年10月16日). 2017年11月26日閲覧。
  3. ^ “ロックの殿堂入り2004〜ジャクソン・ブラウン/ZZトップほか”. TAPthePOP (2016年8月17日). 2017年11月26日閲覧。
  4. ^ “ジャクソン・ブラウン、音楽という魔法の中に溶け込んだ熱きメッセージ”. BARKS (2015年3月13日). 2017年11月26日閲覧。
  5. ^ “ジャクソン・ブラウン、2年半ぶりの来日ツアーが開幕”. BARKS (2016年10月18日). 2017年11月26日閲覧。

関連書籍

  • 『ジャクソン・ブラウン・ストーリー』 (著)リッチ・ワイズマン (訳)室矢 憲治 CBSソニー出版 1983年 (ISBN 4789700976)
  • 『アサイラム・レコードとその時代 音楽出版社』 2006年 (ISBN 4-86171-015-4)
  • 『ジャクソン・ブラウン―ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック』 (著)マーク・ビーゴ (訳)水木 まり 蒼氷社 2007年 (ISBN 4434111698)

関連人物

関連項目

外部リンク

  • 公式ウェブサイト (英語)
  • ワーナーミュージック・ジャパン - ジャクソン・ブラウン
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