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シーグフリード・ガルシア

シーグフリード・ガルシア・ロジョSígfrid Gràcia Royo1932年3月27日 - 2005年5月23日)は、スペインカタルーニャ州(ガバ)出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはDF

シーグフリード・ガルシア
名前
本名 シーグフリード・ガルシア・ロジョ
Sígfrid Gràcia Royo
ラテン文字 Sígfrid Gràcia
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1932-03-27) 1932年3月27日
出身地 (ガバ)
没年月日 (2005-05-23) 2005年5月23日(73歳没)
選手情報
ポジション DF (LB)
利き足 左足
ユース
バルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1952-1966 バルセロナ 229 (5)
1954 エスパニョール・インドゥストリアル (loan) 10 (0)
1954 エスパニョール・インドゥストリアル (loan) 3 (0)
代表歴
1956 スペイン B 1 (0)
1959-1962 スペイン 10 (0)
1951-1960 カタルーニャ 4 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
(■テンプレート)((■ノート) ■解説■サッカー選手pj

経歴

クラブ

カタルーニャ州の(ガバ)に生まれ、FCバルセロナカンテラで育成された[1]。1952年9月14日、デポルティーボ・ラ・コルーニャとのリーグ戦でトップチームデビューを果たした。1953-54シーズンの後半戦と翌シーズンの前半戦は、セグンダ・ディビシオンに所属していたエスパニョール・インドゥストリアルにレンタル移籍をして選手としての経験を積んだ。レンタルバック後の1955-56シーズンからレギュラーに定着し、クラブは1956-57シーズンから4シーズン連続でタイトルを獲得し、1959年にはスペイン代表から初招集も受けた。

1962-63シーズンから徐々に出場機会を失い始め、翌シーズンにはエラディオにレギュラーを奪われた。1966年、34歳で現役を引退した[2]。現役引退後は、FCバルセロナのクラブ運営に携わっていた[3]

代表

1959年6月28日、1960 欧州ネイションズカップの予選として開催されたポーランド代表との試合でスペイン代表デビューを果たした[4]。3年後の1962 FIFAワールドカップにも参加し、グループステージ最終節のブラジル代表戦では、当時のブラジル代表のエースであったガリンシャを抑え込む役割を与えられたが、1-2で敗れた。

タイトル

FCバルセロナ

脚注

  1. ^ Sport (2020年5月23日). “15 años sin Sígfrid Gràcia” (スペイン語). sport. 2022年4月5日閲覧。
  2. ^ “SÍGFRID GRÀCIA | FCBarcelona.cat”. arxiu.fcbarcelona.cat. 2022年4月5日閲覧。
  3. ^ “Muere el ex jugador barcelonista Sígfrid Gràcia a los 73 años” (スペイン語). La Vanguardia (2005年5月23日). 2022年4月5日閲覧。
  4. ^ “Edición del , Página 3 - Hemeroteca - MundoDeportivo.com”. hemeroteca.mundodeportivo.com. 2022年4月5日閲覧。

外部リンク

  • シーグフリード・ガルシア - BDFutbolによる個人成績 (英語)
  • シーグフリード・ガルシア - National-Football-Teams.com
  • シーグフリード・ガルシア – FIFA主催大会成績
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