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シンクレア・ルイス

シンクレア・ルイスことハリー・シンクレア・ルイスHarry Sinclair Lewis, 1885年2月7日 - 1951年1月10日)は、アメリカの小説家・劇作家・批評家。アメリカ中西部の田舎町を舞台とした、典型的なアメリカ白人男性中心の中流社会像をアイロニカルかつ極めて写実的に描写した社会風刺的作品で世界的な名声を得る。

シンクレア・ルイス
Sinclair Lewis
シンクレア・ルイス(1914)
ペンネーム シンクレア・ルイス、トム・グレイアム
Sinclair Lewis, Tom Graham (-1914)
誕生 ハリー・シンクレア・ルイス
Harry Sinclair Lewis
1885年2月7日
ミネソタ州(ソークセンター)(アメリカ
死没 (1951-01-10) 1951年1月10日(65歳没)
ローマイタリア
職業 小説家劇作家
国籍 アメリカ合衆国
活動期間 1912年 - 1951年
ジャンル 風刺小説短篇小説舞台脚本
代表作 『本町通り』(1920年)
『バビット』(1922年)
『アロウスミスの生涯』(1925年)
『エルマー・ガントリー』(1927年)
It Can't Happen Here (1935年)
『血の宣言』(1947年)
主な受賞歴 ピューリッツァー賞(1926年、辞退)
ノーベル文学賞(1930年)
デビュー作 Hike and the Aeroplane
(1912年、トム・グレイアム名義)
Our Mr. Wrenn
(1914年、シンクレア・ルイス名義)
配偶者

グレイス・L.ヘガー(雑誌編集者
Grace Livingston Hegger
(結婚期間:1914年 - 1925年)

ドロシー・トムソン(政治コラムニスト
Dorothy Thompson
(結婚期間:1928年 - 1942年)
子供 マイケル・ルイス(俳優
Michael Lewis
(テンプレートを表示)
ノーベル賞受賞者
受賞年:(1930年)
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:活き活きとした写実的な描写技術および機智とユーモアを伴った、新しいタイプの人物を造形する能力に対して

生涯

ミネソタ州(ソークセンター)(Sauk Centre)の医師エドウィン・ルイス(Edwin J. Lewis)の三男として生まれる。1891年、生母エマ・カーモット(Emma Kermott Lewis)を失う。幼い頃よりあまり活発でない痩せぎすの繊細な少年で、非常に厳格な父とは長らく折り合いが悪く、友人もあまり作れずに孤独な少年時代を過ごした。13歳の時に軍楽隊ドラマーとして米西戦争に参加しようとして家出を敢行するが、果たせなかった。

1902年オハイオ州にあるオーバリン大学付属のオーバリン学園(Oberlin Academy)に1年間通い、翌年のイェール大学への入学資格を得る。大学在学中はニュージャージー州(エングルウッド)(Englewood)にアプトン・シンクレアが設立した実験的生活共同体ヘリコン・ホーム・コロニー(Helicon Home Colony 1906-07)で働いたり、パナマへ旅行に行ったりしていた為に卒業が1年遅れた。また、田舎者丸出しで尊大に弁を打つ彼には故郷に居た時以上に友人ができなかったが、数少ない知人たちには自身が作家になる事を約束している。そして学内誌にも自作の空想詩掌篇小説を発表している。

卒業後はパルプ・マガジン『アドヴェンチャー』 Adventure 等の雑誌社や新聞社の編集者および執筆者の職と住居を転々とし(カリフォルニア州モントレーの芸術家共同体カーメル)に住んでいた事もある)、ジャック・ロンドンに小説のプロット[1] を売却したり、1912年には初の単行本となる児童向け冒険活劇風の三文小説 Hike and the Aeroplane をトム・グレイアム名義で出版したりして糊口をしのぎながらも、着々と文才を磨いていく。

1914年、初のシリアス作品である Our Mr. Wrenn でシンクレア・ルイス名義での本格的デビューを果たす。その後、数点の単行本と雑誌連載小説を執筆。1921年、『本町通り』がピューリッツァー賞の小説部門で一旦はトップ受賞をしたが、選考委員会の審議により白紙撤回された。1923年には『バビット』に大いに期待が持たれたが、結局受賞はならなかった。1926年、『アロウスミスの生涯』で今度こそピューリッツァー受賞を果たすが、ルイスは「たった1つの作品や作家が他を差し置いて賞讃されるような、そんな抗争の場には共感しない」と受け取りを拒否[2] 、同賞を辞退した初めての人物となった。

1930年、アメリカ人として初のノーベル文学賞を授与された。受賞後の基調講演では、伝統的なアメリカ的価値観を功罪構わず無節操に賞揚するアメリカ文学界全体の現状を嘆きつつ、ドライサーキャザーヘミングウェイらを始めとした、彼らと同世代の作家たちを賞讃している。20世紀前半のアメリカを代表する作家として、ヘミングウェイ、フォークナースタインベックら後進の先鞭を着けた功績は大きい。

多くの作品が舞台化映画化されている一方で、1920~30年代を中心に短篇小説を数多くの雑誌や出版物で発表している。「コスモポリタン」誌に掲載された Little Bear Bongo1936年)はディズニーによってアニメ化された。

しかし、私生活においては2度の結婚を経験するものの、いずれも破局を迎えている。

1950年、数か月間イタリアフィレンツェに滞在した後、ローマに移動して12月21日に病院へ入院。1951年1月10日心臓麻痺のため死亡した[3]。重度のアルコール中毒であったとも伝えられる。65歳であった。遺灰は故郷のソークセンターに埋葬された。

著作および舞台・映像作品

  • Hike and the Aeroplane (1912年)※トム・グレイアム名義
  • Our Mr. Wrenn (1914年)※シンクレア・ルイス名義でのデビュー作
  • The Trail of the Hawk (1915年)
  • The Innocents (1917年)
  • The Job (1917年)
  • Free Air (1919年)
  • 本町通りMain Street (1920年)
    • 『本町通り』Main Street (米 1923年) 監督:ハリー・ボーモント(Harry Beaumont)
    • I Married A Doctor (米 1936年) 監督:(アーチー・メイヨー )(Archibald L. Mayo)
  • 『バビット』 Babbitt (1922年)
    • Babbitt (米、1924年)※無声映画
    • Babbitt (米、1934年)※トーキー
  • 『アロウスミスの生涯』 Arrowsmith (1925年)※別訳題『ドクター アロースミス』
  • 『人罠』 Mantrap (1926年)
    • Mantrap (1926年)
    • Untamed (1940年)
  • 『エルマー・ガントリー』 Elmer Gantry (1927年)
  • The Man Who Knew Coolidge (1928年)
  • Dodsworth (1929年)
  • Ann Vickers (1933年)
  • Work of Art (1934年)
  • It Can't Happen Here (1935年)
    • It Can't Happen Here (1936年) 舞台脚本:シンクレア・ルイス、ジョン・C.モフィット(John C. Moffitt)
    • Shadow on the Land (1968年)※テレビシリーズ。別題名 United States: It Can't Happen Here
  • Jayhawker (1935年) ※舞台脚本
  • Selected Short Stories (1935年)※短篇集
  • Little Bear Bongo (1936年)※短篇小説
  • The Prodigal Parents (1938年)
  • 『若き女優』 Bethel Merriday (1940年)
  • Gideon Planish (1943年)
  • 『夫婦物語』 Cass Timberlane (1945年)
  • 『血の宣言』 Kingsblood Royal (1947年)
  • 『神を求める人』 The God-Seeker (1949年)
  • World So Wide (1951年、以降、没後出版)
  • The Man From Main Street : selected essays and other writings, 1904-1950 (1953年)
    ※エッセイおよび書簡集。著者:Melville H.Cane & Philip Allan Friedman

その他の映像作品

  • Nature Incorporeted (1916年)
  • The Unpainted Woman (1919年)※短篇小説から
  • Ghost Patrol (1923年)※短篇小説から
  • Abysmal Brute (1923年) ※ジャック・ロンドンに売却した物語より
  • aka. Forbidden Adventure (1931年)
  • Newly Rich (1931年)※Let's Play King より
  • This Is The Life (1944年)※舞台演劇より

邦訳

  • 本町通り 前田河広一郎訳.新潮社,1931
  • 妖聖ガントリー 前田河広一郎訳 ノーベル賞文学叢書. 第2.今日の問題社,1940
    • 神を求める人 竜口直太郎訳.三笠書房,1950.
    • エルマー・ガントリー 三浦新市,三浦富美子訳.1960-61.角川文庫
  • 若き女優 平野花江訳.今日の問題社,1940.
  • アロウスミスの生涯 (鵜飼長寿)訳.東華堂,1942-43 
    • アロウスミスの生涯(岩崎良三訳)現代アメリカ文学全集. 第18 荒地出版社,1958.
    • ドクターアロースミス 内野儀訳 小学館,1997.8.地球人ライブラリー
  • 血の宣言 竜口直太郎訳.リスナー社,1949-50.
  • 夫婦物語 瀬沼茂樹,(金子哲郎)共訳.早川書房,1951.
  • 若者よ東へ行け・貸馬車御者 上野直蔵,橋口保夫訳.英宝社,1958.
  • バビット(刈田元司訳) ノーベル賞文学全集. 5 主婦の友社,1972.

脚注

  1. ^ "The Assassination Bureau, Ltd "。結局はロンドンの創作意欲が続かず未完となってしまったが、1963年に(ロバート・L.フィッシュ)(Robert L. Fish)が完成させ、後に『(世界殺人公社)』 The Assassination Bureau (米 1969年)の題名で映画化された。
    また、ルイスの方でも1923年に "Abysmal Brute" という映像作品に同じプロットを流用している。
  2. ^ エッセイおよび書簡集 "The Man From Main Street " (「『本町通り』から来た男」の意)に、選考委員会に送った長い手紙からの以下のような抜粋がある。

    "I wish to acknowledge your choice of my novel Arrowsmith for the Pulitzer Prize. That prize I must refuse, and my refusal would be meaningless unless I explained the reasons.

    All prizes, like all titles, are dangerous. The seekers for prizes tend to labor not for inherent excellence but for alien rewards; they tend to write this, or timorously to avoid writing that, in order to tickle the prejudices of a haphazard committee. And the Pulitzer Prize for Novels is peculiarly objectionable because the terms of it have been constantly and grievously misrepresented.

    Those terms are that the prize shall be given "for the American novel published during the year which shall best present the wholesome atmosphere of American life, and the highest standard of American manners and manhood." This phrase, if it means anything whatsoever, would appear to mean that the appraisal of the novels shall be made not according to their actual literary merit but in obedience to whatever code of Good Form may chance to be popular at the moment."

    「私の『アロウスミスの生涯』を賞に選んでくれた事を喜べれば良かったのですが、ここは辞退しなくてはなりません。その理由の説明が為されなければ、今回の辞退が無意味な行動であるように想われるかもしれません。
     まず、賞というものは、あらゆる肩書きと同様、みな危険なものなのです。受賞を狙うような人々というのは、本来持ち合わせている美点の為ではなく、自分とは異質な報償を得る為に働いてしまいます。つまり、行き当たりばったりな選考委員会の気を引きたいが為にその事を書いたり、怖気づいて書かなかったりするのです。ピューリッツァー賞の小説部門には特に如何わしさを覚えます。何故なら、その事を示す言葉が頻繁かつ痛ましいほどに誤って述べられてきているからです。
     その言葉とは、この賞が授けられるのが『その年に出版された米国人の小説の中で、米国生活の健全な雰囲気を最も良く表現し、米国人の生活習慣と男性らしさを高い水準で示しているもの』であるという一文です。この言葉で何が言いたいのかは知りませんが、要するにこの賞が評価しているのは実際の文学界への寄与などではなく、何らかの『正しいフォーム』に従っているかどうかなのでしょう。まあ、そのフォームとやらで一時的にせよ人気者にはなれるのかもしれませんね。」

    原文の引用はウェブサイト "Sinclair Lewis Society" の F.A.Qより(シンクレア・ルイス#外部リンク参照)。
  3. ^ 「訃報欄」『朝日新聞』昭和26年1月11日

関連項目

外部リンク

  • Online collection of works
  • Babbitt from American Studies at the University of Virginia.
  • Sinclair Lewisの作品 - プロジェクト・グーテンベルク
  • シンクレア・ルイス - プロジェクト・グーテンベルク・オーストラリア
  • Sinclair Lewis - IMDb(英語)
  • Sinclair Lewis - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語)
  • his vigorous and graphic art of description and his ability to create, with wit and humour, new types of characters.
  • Sinclair Lewis Society
  • Autobiography
  • NBC Biographies in Sound #43 They Knew Sinclair Lewis; Bennett Cerf and others discuss contradictions in Sinclair Lewis's Personality - インターネット・アーカイブ
  • "Sinclair Lewis: The Man From Main Street" WBGU-PBS documentary
  • Hutchisson, The Rise of Sinclair Lewis, 1920-1930, Penn State Press, 2001 (ISBN 0-271-02123-3)
  • A Tribute To Two Sinclairs Sinclair Lewis & Upton Sinclair
  • シンクレア・ルイス - Find a Grave(英語)
  • Booknotes interview with Richard Lingeman on Sinclair Lewis: Rebel From Mainstreet, March 10, 2002.
  • Guide to the Material pertaining to biography of Sinclair Lewis, 1952-1962 - Online Archive of California ((The Bancroft Library))
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