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シリモンコン・シンワンチャー(泰: ศิริมงคล สิงห์มนัสศักดิ์、英: Sirimongkol Singwangcha、1977年6月2日 - )は、タイ出身のプロボクサー、キックボクサー、元ムエタイ選手。本名はシリモンコン・ランチュオム(Sirimongkol Lamtuom)。パトゥムターニー県出身。
来歴
ムエタイ
タイ、パトゥムターニー県で生まれる。実家がシンマナサック・ムエタイスクールであり、元ナックムエである実父マノップ・シンマナサックからムエタイの練習をさせられたため、ムエタイの試合は嫌いになった。国際式ボクシングを始めるまで、シリモンコン・シンマナサック(Sirimongkol Singmanasak)というリングネームで国技ムエタイのリングに上がり続けた。
1992年、ランシットスタジアム105ポンド級のムエタイ王者となった。その後、ムエタイでは敵がいなくなったのでボクシングに転向、WBCの委員会の一員だったサハソムポップ・シーシムウォングの後援するボクサーとなった。
プロボクシング
1994年5月18日、プロデビュー。
1995年8月5日、バンコクのチャンネル7スタジオスで行われたWBU世界スーパーフライ級王座決定戦でファニット・クマ(フィリピン)と対戦し、3-0(120-107、120-109、120-109)の判定勝ちを収め、王座獲得に成功、初代WBU世界スーパーフライ級王者となった。
1995年12月23日、バンコクのチャンネル7スタジオスで行われたWBU世界バンタム級王座決定戦でミゲル・エスピノサ(メキシコ)と対戦し、3-0(118-110、118-111、118-111)の判定勝ちを収め王座獲得に成功、2階級制覇を果たした。 1996年3月23日にはWBU世界バンタム級王座の初防衛に成功した。
1996年5月5日、バンコクで元WBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也との2度の死闘で知られるタノムサク・シスボーベーと対戦し、3回KO勝ちを収めた。
1996年8月10日、ピッサヌローク県のサッカー場で元WBC世界スーパーフライ級王者ホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)とWBC世界バンタム級暫定王座決定戦を行い、5回0分59秒TKO勝ちを収め王座を獲得に成功した。
1997年1月、正規王者ウェイン・マッカラー(北アイルランド)の王座返上に伴い空位となった正規王座に認定され正規王者になった。
1997年夏の指名挑戦者・元王者ビクトル・ラバナレスに大差判定で圧勝し11月22日、4度目の防衛戦。大阪城ホールで元王者辰吉丈一郎と対戦し、プロ初黒星となる7回1分54秒TKO負けを喫し王座から陥落した。
その後、減量苦を理由に一気に2階級飛び越し、スーパーフェザー級に転向。
2002年8月22日、辰吉戦以来5年ぶりの世界戦。両国国技館で行われたWBC世界スーパーフェザー級王座決定戦で長嶋健吾と対戦し、2回2分22秒KO勝ちで2階級飛び越しての2階級制覇に成功した。10月にノンタイトル戦を行った後、翌2003年1月13日に後楽園ホールで元WBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(シャイアン長谷川ジム所属、韓国出身)と対戦し、3-0(119-109、119-109、118-110)の判定勝ちで初防衛に成功、その後、5月にノンタイトル戦を行い、8月15日にアメリカ合衆国テキサス州オースティンのコンベンションセンターで指名挑戦者ヘスス・チャベス(メキシコ)と対戦したが、0-3(111-117、111-117、110-118)の判定負けを喫し王座から陥落した。
2005年5月14日、MGMグランドで行われたWBC世界ライト級王座指名挑戦者決定戦でマイケル・クラーク(アメリカ合衆国)と対戦し、7回1分50秒TKO勝ちを収め、WBC世界ライト級王座への挑戦権を獲得した。その試合でシリモンコンはタイのプロボクサーでは初の本場MGM進出を果たしその後もう1度登場し勝利を収めている。
2006年5月20日、アメリカ合衆国で稲田千賢とWBC世界ライト級暫定王座決定戦を行う予定であったが、急病(B型肝炎)のためキャンセル(なお、稲田は予定どおり暫定王座決定戦に出場。シリモンコンの代役としてリングに上がったホセ・アルマンド・サンタクルス〈メキシコ〉と対戦したが、6回TKO負け)。その後、病気は回復し、7月にノンタイトル戦を行った。
2007年5月1日、ノンタブリー県でABCOスーパーフェザー級王者(トーン・ポー・チョクチャイ)と対戦し、3-0(116-112、116-112、116-112)の判定勝ちで王座を獲得した。(初防衛戦を行うことなく、6月に返上)。
2007年12月21日、ノンタブリー県のスコタイ・タマティラート大学で行われたPABAスーパーライト級王座決定戦でアルネル・ポラスと対戦し、3-0(120-108、119-109、119-109)の判定勝ちを収め王座を獲得した。
2008年5月24日、ニューカッスルのハニーサックル・ボイラー・ルームでチャド・ベネットと対戦し、1回2分15秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。
2008年11月、PABAスーパーライト級王座を返上した。
2009年はノンタイトル戦3試合を行った。2009年8月12日にはナコーンラーチャシーマー県での10回戦に2RKO勝利を収めたが、同月30日に覚せい剤所持容疑で逮捕され、密売と自身の常用を認めた[1]。
覚せい剤所持で逮捕から2年後の4月29日復帰戦を行い、ブランクを感じさせない動きで、3回KO勝ち。8月には中央矯正センターで、ウェルター級転向戦を行い、2回TKO勝ち。今後はタイでは初の3階級制覇を目指す。
2012年11月14日、パトゥムターニー県で行われたABCOコンチネンタルウェルター級王座決定戦で(デニス・パドゥア)と対戦し、5回1分29秒KO勝ちを収め王座を獲得した。
2013年5月14日、パトゥムターニー県タンヤブリー郡ランシットのランシットスタジアムで(モハマドレザ・ハムゼ)と対戦し、6回1分37秒TKO勝ちを収めABCOコンチネンタルウェルター級王座の初防衛に成功した。
2022年7月13日、大田区総合体育館で行われた伊藤沙月VSサオワラック・ナリーペンシー戦にサオワラックのセコンドとして来日[2]。
K-1
2007年2月18日、K-1韓国予選のワンマッチにシリモンコン・シンワッサ(Sirimongkol Singwangcha)というリングネームで出場。キム・ハンウル(韓国)に3R右フックでKO勝ち。
2007年7月21日、K-1韓国大会に出場し、チェ・ジョンユン(韓国)に3R判定勝ち。
2008年2月24日、K-1 ASIA MAX 2008 IN SEOULで行われたアジアトーナメントに出場。1回戦でイ・スファンと対戦し、判定負け。
戦績
プロボクシング
73戦 71勝 43KO 2敗
キックボクシング
キックボクシング 戦績 | ||||||
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3 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
2 勝 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | |
1 敗 | 0 | 1 | 0 |
獲得タイトル
- ムエタイ
- ランシットスタジアムミニフライ級王座(1992年)
- ボクシング
脚注
関連項目
外部リンク
- - ウェイバックマシン(2014年2月9日アーカイブ分) - シリモンコンに関する情報等
- シリモンコン・シンワンチャーの戦績 - BoxRec(英語)
- - ウェイバックマシン(2009年3月13日アーカイブ分)
空位 前タイトル保持者 (エンリケ・ピンター) | 第2代WBU世界バンタム級王者 1995年12月23日 - 1996年(返上) | 空位 次タイトル獲得者 レーロホノロ・レドワバ |
暫定王座決定戦 対戦者 ホセ・ルイス・ブエノ | WBC世界バンタム級暫定王者 1996年8月10日 - 1997年1月 | 次暫定王者 正規認定により消滅 |
空位 前タイトル保持者 ウェイン・マッカラー | WBC世界バンタム級王者 1997年1月 - 1997年11月22日 | 次王者 辰吉丈一郎 |
空位 前タイトル保持者 フロイド・メイウェザー・ジュニア | WBC世界スーパーフェザー級王者 2002年8月24日 - 2003年8月15日 | 次王者 ヘスス・チャベス |