紋章 | ベルリン地図 (区の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ベルリン州 |
緯度経度: | 北緯52度29分56秒 東経13度17分5.7秒 / 北緯52.49889度 東経13.284917度 |
面積: | 64.72 km² |
人口: | 343,592人(2020年12月31日現在)[1] |
人口密度: | 5,309 人/km² |
郵便番号 | 10585, 10587, 10589, 10623, 10625, 10627, 10629, 10707, 10709, 10711, 10713, 10715, 10717, 10719, 10777, 13627, 14050, 14052, 14053, 14055, 14055, 14057, 14059, 14193, 14197, 14199 |
市外局番: | 030 |
区コード: | 04 |
区内地区数: | 7地区 |
行政庁舎の住所: | (Rathaus Charlottenburg) (Otto-Suhr-Allee) 100 10585 Berlin |
ウェブサイト: | charlottenburg-wilmersdorf.de |
区長: | (ラインハルト・ナウマン) (SPD) |
区議会議席配分: |
シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区 (シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフく、ドイツ語: Bezirk Charlottenburg-Wilmersdorf) は、ドイツの首都、ベルリンの行政区である。区コードは4。人口は約34万人である。中産階級の多い住宅地とされている。(クーアフュルステンダム)周辺は「(シティ・ウェスト)」として、(ベルリンの歴史的中心部)と並び、中心街としての機能を受け持っている。区内の施設には、ベルリン工科大学、ベルリン芸術大学、ベルリン・ドイツ・オペラ、(連邦建設地域計画局)、(連邦リスク評価研究所)、ベルリン・オリュンピアシュターディオンなどがある。
地区
当区は7地区に分かれている。
地区番号と地区 ・区域 | 面積 (km²) | 人口(人)[1] (2020年12月31日現在) | 人口密度 (人/km²) | 区内地図(地区の位置) |
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0401 (シャルロッテンブルク)
| 10.60 | 129,359 | 12,204 | |
0402 (ヴィルマースドルフ)
| 7.16 | 101,877 | 14,229 | |
0403 (シュマルゲンドルフ) | 3.59 | 22,733 | 6,332 | |
0404 (グルーネヴァルト) | 22.30 | 11,176 | 501 | |
0405 (ヴェストエント)
| 13.50 | 41,328 | 3,061 | |
0406 (シャルロッテンブルク=ノルト)
| 6.20 | 19,422 | 3,133 | |
0407 (ハーレンゼー) | 1.27 | 15,497 | 12,202 |
区内の人口分布は非常に差異が大きい。(ヴィルマースドルフ地区)(ベルリン全体で第7位)、(シャルロッテンブルク地区)(11位)と(ハーレンゼー地区)(12位)だが、(グルーネヴァルト地区)は、ベルリンで最も人口の少ない地区の一つである。グルーネヴァルト地区は、人口は全区のわずか3%であるが、総面積では三分の一以上を占める。しかし地区面積の約85%は、居住不可能な森林地域((グルーネヴァルト))や水域である。人口の三分の二は、シャルロッテンブルク地区とヴィルマースドルフ地区に居住している。ハーレンゼー地区は、 (ハンザフィアテル地区)に次ぎ、ベルリンで2番目に小さな地区である一方、グルーネヴァルト地区は、ベルリンでも大きな地区に数えられる。
人口
シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフは、中産階級の多い地区とされている。シャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区の人口は、2020年12月31日では343,592人であり、面積は64.7km²である[1]。人口密度は前記基準日では1km²あたり約5,309人である。2012年12月31日時点の外国人の割合は20.2%だったが、(移民の背景)を持つ人口の割合は36.0%であった[2]。失業率は2013年4月30日時点で10.7%であった[3]。2012年12月31日時点の区民平均年齢は45.7歳であった[2]。
歴史
当区は2001年1月1日に、(シャルロッテンブルク区)と(ヴィルマースドルフ区)(両区とも旧西ベルリン)の合併により成立した。
2009年5月25日に区は、連邦政府から「(多様性の場)」という称号を受けた。
シャルロッテンブルク
起源は集落「リーツェンブルク (Lietzenburg)」に遡る。元の名を「(リーツォウ)」といった。この地に女王ゾフィー・シャルロッテの結婚を記念し、シャルロッテンブルク宮殿が建設され、1705年には都市シャルロッテンブルク (Stadt Charlottenburg) となった。1920年に大ベルリンに編入されるまで、シャルロッテンブルクはプロイセンで最も裕福な都市に発展した。
ヴィルマースドルフ
現在のヴィルマースドルフ地区は1220年以降に成立した。18世紀半ばには、ベルリン市民が当時の「ドイチュ=ヴィルマースドルフ (Deutsch-Wilmersdorf)」に土地や農村家屋の購入を始め、(ヴィルヘルムスアウエ)に夏の別荘を構えた。1907年4月1日よりヴィルマースドルフは、(テルトウ郡)から離脱し、独立した都市郡 (Stadtkreis) となった。1912年から都市名は「ベルリン=ヴィルマースドルフ」となった。1920年10月1日に大ベルリンに編入された。
名所
- (グルーネヴァルト塔)
- (シュマルゲンドルフ)の(聖十字架教会)
- (シュマルゲンドルフ村落教会)
- (シュマルゲンドルフ庁舎)
- (グルーネヴァルト駅)の(17番線追悼碑)
- (ベルリン芸術家コロニー)
- (シルトホルン)の(ヤクサ・フォン・ケーペニック)記念碑
- (ユリウス=モルゲンロート広場)の(マルコ・マルリッチ)像
- シャルロッテンブルク宮殿
- (ギールケ広場)の(ルイーゼ教会)(カール・フリードリヒ・シンケル設計)
- (シャルロッテンブルク庁舎)
- (ベルリン無線塔)
- メッセ会場と(ベルリン国際会議センター) (ICCベルリン)
- ベルリン・ドイツ・オペラ
- (レニーン広場のシャウビューネ)(劇場)
- (テアーター・デス・ヴェステンス)(「西の劇場」の意)
- (ルネサンス劇場)
- (シラー劇場)
- ベルリン・オリュンピアシュターディオンと(ベルリン・オリンピック施設)
- カイザー・ヴィルヘルム記念教会、(オイローパ=センター)、(地球の泉)(「水団子 (Wasserklops)」)のある(ブライトシャイト広場)
- (プレッツェンゼー記念館)
- (アルフレート・フルドリチュカ)制作の(プレッツェンゼーの死の舞踏)((プレッツェンゼー教区センター))
- (シュテーセン湖)と(ルーペンホルン)の段丘崖
- (オッペンハイム邸)
- ベルリン国立博物館群
- (先史・原史時代博物館)
- (ベルクグリューン美術館)
- (写真博物館) / (ヘルムート・ニュートン財団)
- (シャルフ=ゲルステンベルク・コレクション)
- (石膏像工房)
紋章
シャルロッテンブルク=ヴィルヴィルマースドルフ区の紋章は、(ベルリン市参事会)から2001年9月4日に授与された。
紋章記述:「盾の中部には、銀と青に交互に塗り分けられたユリが3つある。下部は、金地に青の城門が置かれ、鋸壁と黒の落とし格子がつく。側塔の屋根はドーム型で、中ほどのものは寄棟屋根である。その上に旗がつき、右は黒と銀、左は赤と銀である。側塔にはそれぞれ盾がつき、右には銀地に金の王冠をかぶり、金の爪と嘴をもつ黒い鷲があり、翼には金の三つ葉の茎、胸には金の組み合わせ文字「FR」が置かれ、金色の王冠の意義を高める。盾の上部には赤く3つの塔がついた城壁冠があり、中ほどには(ベルリンの紋章)がつく[4]。」
説明:この紋章は(シャルロッテンブルク区)と(ヴィルマースドルフ区)の紋章をもとにつくられた。下部は、鋸壁をもつ青の城門が置かれ、中ほどの通路に黒の落とし格子がつく。この要素はシャルロッテンブルクものであり、その歴史に由来する。前側の塔はプロイセン王国を象徴し、(プロイセンの鷲)と黒と白の旗がつく。対して後ろ側の塔は、ハノーファー家を表し、飛び跳ねる馬と赤と白の旗がつく。シャルロッテンブルク宮殿の要素の他に、青と銀の3つのユリがあるが、これはヴィルマースドルフ区の紋章に由来する。この要素はヴィルマースドルフを設立し、1802年に断絶した一族を表す。城壁冠はベルリン全区の紋章に共通の意匠である。
姉妹都市
国外
- アペルドールン(オランダ)旧ヴィルマースドルフ区、1968年1月5日
- ブダペスト(第五区、ハンガリー)旧シャルロッテンブルク区、1998年6月9日
- ガニー(フランス)旧ヴィルマースドルフ区、1992年
- グラッドサクセ(デンマーク)旧ヴィルマースドルフ区、1968年1月5日
- (カルミエル)(イスラエル)旧ヴィルマースドルフ区、1985年1月16日
- キエフ=(ペチェルスク)(ウクライナ)旧ヴィルマースドルフ区、1991年2月21日
- ルイシャム・ロンドン特別区(イギリス)旧シャルロッテンブルク区、1968年3月19日
- リンツ(オーストリア)旧シャルロッテンブルク区、1998年6月9日
- (ミエンジジェチュ) (ポーランド)旧ヴィルマースドルフ区、1993年6月11日
- オル・イェフダ(イスラエル)旧シャルロッテンブルク区、1966年
- スプリット(クロアチア)旧ヴィルマースドルフ区、1970年5月5日
- サットン・ロンドン特別区(イギリス)旧 ヴィルマースドルフ区、1968年4月18日
- トレント(イタリア)旧シャルロッテンブルク区、1966年5月11日
国内
- バート・イーブルク(ニーダーザクセン州)旧シャルロッテンブルク区、1980年11月10日
- ラインガウ=タウヌス郡(ヘッセン州)旧ヴィルマースドルフ区、1991年6月20日、1972年9月5日から協力関係
- フォルヒハイム郡(バイエルン州)旧ヴィルマースドルフ区、1972年8月23日、1974年から協力関係
- クルムバッハ郡(バイエルン州)旧ヴィルマースドルフ区、1991年8月23日
- マールブルク=ビーデンコップフ郡(ヘッセン州)旧シャルロッテンブルク区、1991年4月18日
- ヴァルデック=フランケンベルク郡(ヘッセン州)旧シャルロッテンブルク区、1988年11月26日
- マンハイム(バーデン=ヴュルテンベルク州)旧シャルロッテンブルク区、1962年5月28日
- ミンデン(ノルトライン=ヴェストファーレン州)旧ヴィルマースドルフ区、1968年1月5日
外部リンク
- ベルリンのシャルロッテンブルク=ヴィルマースドルフ区の公式サイト
- 区の情報ポータル
参考資料
- ^ a b c ベルリン州における2020年12月31日時点の登録人口、資料:(ベルリン=ブランデンブルク統計局) (PDF)(ヘルプ)。
- ^ a b (Statistischer Bericht – Einwohnerinnen und Einwohner im Land Berlin am 31. Dezember 2012) (PDF; 3,1 MB). Amt für Statistik Berlin-Brandenburg. Abgerufen am 18. Juni 2013.
- ^ Arbeitslosigkeits-Atlas – Arbeitslosigkeit in Berlin – Zahlen und Quoten in der Stadt und in den Bezirken. Berliner Morgenpost. Abgerufen am 18. Juni 2013.
- ^ Hoheitszeichen von Berlin – Bezirkswappen