サメグレロ公国(グルジア語: სამეგრელოს სამთავრო、グルジア語ラテン翻字: Samegrelos Samtavro)は、16世紀から19世紀にかけてジョージア西部に存在した歴史的国家である。この地域の古い呼び名であるオディシ(グルジア語: ოდიში、グルジア語ラテン翻字: Odishi)、あるいはロシア語の呼び方でメグレリヤ(ロシア語: Мегрелия、ロシア語ラテン翻字: Megreliya)、そこから英語でミングレリア(英語: Mingrelia)としても知られる。西ジョージアの上級貴族(ダディアニ家)によって統治されていた。
サメグレロ公国 სამეგრელოს სამთავრო | |
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1557年–1867年 | |
ジョージア王国分裂後のサメグレロ公国と周辺諸国の位置 | |
地位 | ロシア帝国の従属国(1803年–1867年) |
首都 | ズグディディ 北緯42度34分30秒 東経41度40分40秒 / 北緯42.57500度 東経41.67778度座標: 北緯42度34分30秒 東経41度40分40秒 / 北緯42.57500度 東経41.67778度 |
共通語 | |
宗教 | ジョージア正教会 |
統治体制 | 公国(サムタヴロ) |
(ムタヴァリ)(公) | |
• 1533年–1572年 | (レヴァン1世ダディアニ) |
• 1853年–1867年 | (ニコ1世ダディアニ) |
歴史 | |
• 確立 | 1557年 |
• ロシア帝国による併合 | 1867年1月4日 |
歴史
サメグレロ公国は、カルトリの(コンスタンティネ2世)、(カヘティ)の(アレクサンドレ)、(サムツヘ)のクヴァルクヴァレ2世が結んだ不可侵条約と、それに続く条約の締結によって誕生した。これらの条約により南コーカサスを支配したジョージア王国は解体し、3つの王国といくつかの公国に分裂した[3]。サメグレロは1557年に独立した公国となり、(レヴァン1世ダディアニ)が世襲の(ムタヴァリ)(公)に就いた。サメグレロ公国は1803年に帝政ロシアの支配下に入るまで独立を維持した[4]。
サメグレロ公国が1803年にロシア帝国の属国となったのは、サメグレロよりも力の強い隣国(イメレティ)や(アブハジア)からの度重なる攻撃によるものであった.[5] 。サメグレロ公国はロシア帝国に保護を求め、ロシア帝国による保護と引き換えに、属国となる条約を締結した[6]。最終的にサメグレロ公国は1867年、ロシア帝国の圧力によって(ニコ・ダディアニ)公が強制的に退位させられ、公国が廃止となったことで終わりを迎えた。ニコ・ダディアニ公は1868年にムタヴァリの権利を正式に放棄した。その後、サメグレロは1917年までロシアの一地区となった[6]。
関連項目
- (サメグレロ)
- (オディシ)
- (サリパルティアノ)
- (ベディアニ)
- (サメグレロ公の一覧)
参考文献
- ^ ジョージアの地理・歴史学者ヴァフシティ・バグラティオニが18世紀に記録した紋章。
- ^ 1560年にポルトガルの地図製作者ディオゴ・オーメンが挿絵入りの地図に描いた旗。
- ^ Rayfield, Donald (2013). Edge of Empires: A History of Georgia. London: Reaktion Books. pp. 162. ISBN (9781780230306)
- ^ The Columbia Encyclopedia, Sixth Edition – Mingrelia.
- ^ Saparov, Arsène (2014-08-27). From Conflict to Autonomy in the Caucasus: The Soviet Union and the Making of Abkhazia, South Ossetia and Nagorno Karabakh. Oxon: Routledge. pp. 18. ISBN (9780415658027)
- ^ a b Minahan, James B. (2016). Encyclopedia of Stateless Nations: Ethnic and National Groups around the World, 2nd Edition: Ethnic and National Groups around the World. Santa Barbara, CA: ABC-CLIO. pp. 272. ISBN (9781610699532)