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サザン・ウォッチ作戦(サザン・ウォッチさくせん、英語: Operation Southern Watch)は、湾岸戦争後、イラク南部に設けられた飛行禁止空域を監視する作戦。アメリカ合衆国を中心に行われ、2003年のイラク戦争前まで行われた。
サザン・ウォッチ作戦 | |
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同作戦においてイラク南部の飛行禁止空域上空を飛行し監視任務を行うアメリカ空軍のF-15戦闘機。 | |
戦争:飛行禁止空域[1] | |
年月日:1992年8月26日 ~ 2003年3月19日[2] | |
場所:北緯32度線以南のイラク上空[3]。 | |
結果:イラク戦争勃発により停止[3]。 | |
交戦勢力 | |
アメリカ合衆国 イギリス フランス サウジアラビア | イラク |
指導者・指揮官 | |
ジョージ・H・W・ブッシュ | サッダーム・フセイン |
戦力 | |
出撃86,000回以上 平均人員5,000人 警戒時15,000人 国境増援25,000人[1] | 正規軍429,000人 主力戦車2,200両 装甲車3,400両 作戦機316機[4] |
損害 | |
19人戦死 547人負傷[1] | 175人犠牲 500人負傷[3] |
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概要
湾岸戦争が多国籍軍の勝利となり、イラク軍が弱体化すると、イラク北部ではクルド人勢力が南部ではシーア派勢力が中央政府に対し、武装闘争を行い始めた。イラク政府はそれに対し制圧行動を行ったが、それらは弾圧行動の面があった。これに対し、1991年4月5日に国際連合安全保障理事会は決議688号を出し、イラク政府に弾圧行動の停止と関係各国・国際機関による人道的支援を求めた。アメリカ合衆国はこれを理由に、直ちに北緯36度以北のイラク北部にイラク機の飛行禁止空域を設定し、クルド人を支援した。同様に1992年8月に北緯32度以南も飛行禁止空域に設定し、シーア派勢力を支援している。なお、1996年からは南部の飛行禁止空域は北緯33度以南に拡大された。
サザン・ウォッチ作戦は、このイラク南部の飛行禁止空域を監視し、この飛行禁止措置に違反するものがあれば攻撃するという作戦である。1992年8月27日から作戦は開始された。作戦参加部隊はアメリカ中央軍の指揮下にある南西アジア統合任務部隊 (Joint Task Force Southwest Asia, JTF-SWA) であり、兵力はアメリカ合衆国のほか、イギリス・フランスから提供された。主に戦闘機とその支援部隊によって構成されており、サウジアラビアの基地のほか、航空母艦兵力も参加している。
この作戦による武力衝突はときどき報告される程度だったが、2003年のイラク戦争の開戦にかけて武力衝突が激化した。当時これはイラク防空部隊が活動を活発化させたためだと見られていたが、この活発化は2002年7月から始まっていたイラク戦争準備のための(サザン・フォーカス作戦)の間に起こっていたことが知られる。
関連項目
脚注
外部リンク
- Global Security brief on Operation Southern Watch(英語)
- Lt. Col. Gary North's MiG Kill - December 1992(英語)
- Legacy of the Air Blockades - Air Force Magazine, February 2003(英語)