サイモン・フィリップス(Simon Phillips、1957年2月6日 - )は、イギリス・ロンドン出身のセッションドラマー(スタジオミュージシャン)、レコーディング・エンジニア、マスタリング・エンジニア。ロサンゼルス在住。 ザ・フーやミック・ジャガーなど数多くのミュージシャンのドラマーとして活躍。1992年から2013年まで、亡きジェフ・ポーカロの後任としてTOTOに加入していた。
サイモン・フィリップス Simon Phillips | |
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サイモン・フィリップス | |
基本情報 | |
生誕 | 1957年2月6日(66歳) |
出身地 | イングランド・ロンドン |
ジャンル | ジャズ フュージョン ハードロック ヘヴィメタル AOR |
職業 | ドラマー(スタジオミュージシャン) レコーディング・エンジニア マスタリング・エンジニア |
担当楽器 | ドラム キーボード |
活動期間 | 1973年 - 現在 |
共同作業者 | マイケル・シェンカー・グループ TOTO ザ・フー ホワイトスネイク ミック・ジャガー等他多数 |
公式サイト | http://www.simon-phillips.com/ |
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において2010年版では17位、改訂版の2016年版ではランキング外。
経歴
少年時代
父親シド・フィリップスはイギリスジャズ界において黎明期のプロ・クラリネット奏者であり、50代の頃に生まれたサイモンとは孫と呼べるほどの年齢差があった。3歳からドラムを始め、6歳の頃には父のバンドでBBCの録音に参加するなど積極的な活動を行っていた[1]。12歳になると学業よりも音楽活動を中心とした生活になっており、この頃からプロとなる。本人の弁では「フルタイムで演奏の仕事をし、パートタイムで学校へ通っていた」[1] 。
セッションプレーヤー - ハードロック界での成功
16歳で父が死去するとバンドから独立し、セッションプレーヤーとしての活動を開始。この頃からジャズ以外の音楽にも対応し始め、ジェフ・ベックのようなロック・インストゥルメンタルから、ジューダス・プリースト等のヘヴィメタルまで幅広いアーティストをサポート。特にマイケル・シェンカー・グループ、ザ・フーとの活動により、ハードロック界で不動の地位を築く。
1988年には、初のソロ・アルバム『プロトコル』を発表。
日本における活動等
1978年ジェフベック(&スタンリー・クラーク)の来日公演にドラマーとして来日。翌1979年にはスタンリー・クラークバンドでLive Under The Skyに参加している。さらに1980年はジェフベックのThere And Back Tourで来日している。その後1986年、ジェフ・ベックのFlash Tourに同行、軽井沢公演ではカルロス・サンタナとスティーヴ・ルカサーがセッション参加しており共演。ルカサーにはここで出会いTOTO加入の遠いきっかけとなった。1988年、ミック・ジャガー・バンドのドラマーとして来日。東京ドームが完成し、開場した3月18日から4日後、22日のこけら落とし公演で2日間、本家ローリング・ストーンズの1990年の来日に先立って東京ドームのステージに立つ。1992年には、X JAPANのTOSHIのファースト・ソロ・アルバム『made in HEAVEN』に全面的に参加。また、嵐のレコーディングにも参加(「WAVE」などの楽曲)。
TOTO参加
1992年、TOTOのドラマーであったジェフ・ポーカロの追悼ツアーにジェフの代役として参加、そのままTOTOに正式加入することとなる。この頃、ロンドンからかねてより移住を考えていたロサンゼルスへ転居する[1]。
これまでパーマネントなバンドメンバーとして活動することがほとんどなかったサイモンがひとつのバンドに固定の正式メンバーとして参加しているのは珍しく、TOTOへの正式参加理由について「TOTOのメンバーは非常にプロフェッショナルな実力派プレーヤの集団である」と、活動休止直後の『Player』誌2008年5月号のインタビューで語っている。また、TOTOは他のメンバーもサイモンと同様に全員がスタジオ・ミュージシャンや作曲家との兼業である。
TOTOは2008年3月に活動を無期限休止を宣言し、同年の7月には正式に解散するがそれまで在籍した。解散の2年後の2010年から、病気に倒れたマイク・ポーカロ支援のための再結成にも参加。その後、自己の活動に専念するため、2014年1月に(解散していた2年間を含め)20年以上在籍したTOTOを脱退する。
TOTO脱退以降
TOTOが2008年に解散して以降、または2014年の再結成TOTOからの脱退以降は、以前と同様に特にパーマネントなバンドを持たずに自己のプロジェクトやバックバンドなどで精力的にセッション、ライブ活動を行っている。
2011年後半は、ジャズ・ピアニスト上原ひろみの『VOICEツアー』に参加、以降も上原ひろみのバンド「The Trio」のメンバーとしてアンソニー・ジャクソンと共に上原の作品や公演に参加している。
演奏スタイル
多彩なジャンル
右手でスネアドラムを叩き、左手でハイハットシンバルを叩く、オープンスタイル。その為しばしば左利きや両利きと思われることがあるが、実際は右利きであり、元々は一般的なクロスハンドで叩いていたが、1974年頃から今のオープンハンドへ切り替えていった。キャリアのルーツであるジャズではディキシーランド系から、プログレッシブなフュージョン、またポップ系ではR&Bやポップ・ロックからヘヴィメタルまで、セッションプレーヤーとしてみても非常に幅広くプレイできるミュージシャンである。元々はジャズ・ドラマーであり、現在も自己のプロジェクトや上原ひろみトリオなどジャズ系のプレイも盛んである。
機材
TAMAのドラムセットを長年に渡って愛用している。シンバルはジルジャン、スティックはProMarkの自身のモデルを愛用し、マッチドグリップで演奏している。バスドラムはロックやジャズとジャンル問わず2台設置(2バス)して連打プレイをすることが多い。基本的にドラムセットは非常に点数(楽器数)が多く、サイモンを囲む要塞のような状態である。
オープンハンド奏法を用いるため、ライドシンバルが左手側にセットされているほか、ハイハットも低い位置にセットされ、左手でリズムを刻むようになっている。
エンジニアとして
レコーディング/ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニアとしての活動も行っている [3]。自身の作品もセルフミキシングが多い。
マイク・オールドフィールドのアルバム『クライシス』から本格的にエンジニアとしての活動を開始。このアルバムでは本来プレーヤーとしてのみの参加であり、当初はエンジニアリングまで行う予定ではなかったという。しかしアルバム製作開始早々に当初の担当エンジニアが解雇されてしまった。そのままオールドフィールドから「君がこれを読みながらなんとかやってみてくれ」と唐突に機材のマニュアルを渡され、VUメーターの動きや配線の状態を頼りにレコーディングを開始し、結局最後まで行なったという。元々サイモンはマイクロフォンの機種やエンジニアによって自身の演奏の音質が異なることが気になっており、自身の満足するドラムサウンドを求めてマイクやコンソール、プリアンプの機種やマイクの立て方、モニターの特性を研究していたこともあり、これを機に自信を得てエンジニアとしての道を歩み始める。[1]
SHURE製品の愛用者であり、自身のドラムに立てるマイクのほとんどがSHURE製であるという。[2]
ロサンゼルスにPro Toolsシステムを完備したレコーディング・スタジオ「Phantom Recordings」を所有しており、多くをこのスタジオで作業している[1] [4][3]。
サイモンは現場でのレコーディングのみならず、インターネット・オンライン上でのオーディオファイルのやりとりによるミキシングやマスタリングサービスも展開しており、公式サイト上で依頼を受け付けている[3]。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
- 『プロトコル』 - Protocol (1988年、Food for Thought)
- Simon Phillips (1992年、Manhattan)
- Force Majeure (1993年、B&W) ※プロトコル名義。with Ray Russell、Anthony Jackson、Tony Roberts
- 『シンバイオシス』 - Symbiosis (1995年、Lipstick)
- 『アナザー・ライフタイム - トニー・ウィリアムスに捧ぐ』 - Another Lifetime (1997年、Lipstick)
- 『アウト・オブ・ザ・ブルー』 - Out of the Blue (1999年、Victor)
- Vantage Point (2000年、Jazzline) ※with Jeff Babko
- 『プロトコルII』 - Protocol II (2013年、Phantom) ※with Andy Timmons、Steve Weingart、Ernest Tibbs
- 『プロトコルIII』 - Protocol III (2015年、In-akustik) ※with Andy Timmons、Steve Weingart、Ernest Tibbs
- 『プロトコルIV』 - Protocol 4 (2017年、Phantom) ※with Greg Howe、Dennis Hamm、Ernest Tibbs
参加アルバム
- 『ヴォイス』 - Voice (2011年)
- 『MOVE』 - Move (2012年)
- 『ALIVE』 - Alive (2014年)
- 『MOVE ライヴ・イン・トーキョー』 - Move: Live in Tokyo (2014年) ※DVD
- 『SPARK』 - Spark (2016年)
- 『801 ライヴ』 - 801 Live (1976年)
- 『リッスン・ナウ』 - Listen Now (1977年) ※フィル・マンザネラ / 801名義
- 『バック・オン・ザ・ストリーツ』 - Back on the Streets (1978年)
- 『アフター・ザ・ウォー』 - After the War (1989年)
- 『ジョイン・トゥゲザー』 - Join Together (1990年、Virgin)
- 『ザ・フー・ボックス』 - Thirty Years of Maximum R&B (1994年、Polydor)
- 『ゼア・アンド・バック』 - There and Back (1980年、Epic)
- 『ハウズ・トリックス』 - How's Tricks (1977年、March)
- 『シティーズ・オブ・ザ・ハート〜ライヴ1993』 - Cities of the Heart (1993年、CMP)
- 『ジェット・セット・ジュエル』 - Jet Set Jewel (2003年、Polydor)
- 『背信の門』 - Sin After Sin (1977年)
- 『フライング・イン・ア・ブルー・ドリーム』 - Flying In A Blue Dream (1989年、Relativity)
- 『ジ・エクストリーミスト—極—』 - The Extremist (1992年、Relativity)
- 『タイム・マシーン』 - Time Machine (1993年、Relativity)
- 『スーパー・コロッサル』 - Super Colossal (2006年、Epic)
- 『七つの詩』 - Song of Seven (1980年、Atlantic)
- 『アニメーション』 - Animation (1982年、Polydor)
- 『幻影の彼方〜ビヨンド・ザ・シュラウデッド・ホライゾン』 - Beyond the Shrouded Horizon (2011年、WHD)
- 『アット・ジ・エッジ・オブ・ライト〜光と闇の深淵にて』 - At the Edge of Light (2019年)
- 『Major Turn-Round』(2000年、Rojam Entertainment)
- 『ホワイトスネイク』 - White Snake (1977年)
- 『イナーシャ』 - Inertia (2001年、Inside Out)
- 『ブラック・ユートピア』 - Black Utopia (2003年、J.S.H.P.)
- 『ミソロジー』 - Mythology (2004年、Inside Out)
- 『ブラッド・オヴ・ザ・スネイク』 - Blood of the Snake (2006年、Inside Out)
- 『オセアナ』 - Oceana (2011年、Music Theories)
トーヤ
- 『チェンジリング』 - The Changeling (1982年)
- 『ファンタジック・ワールド・ライヴ』 - Warrior Rock: Toyah on Tour (1982年)
- 『ライヴ』 - Absolutely Live (1993年) ※ライブ
- 『タンブ』 - Tambu (1995年)
- 『TOTO XX』 - TOTO XX <1977-1997> (1998年) ※未発表曲集
- 『マインドフィールズ』 - Mindfields (1999年)
- 『ライヴ・フィールズ』 - Livefields (1999年) ※ライブ
- 『スルー・ザ・ルッキング・グラス』 - Through the Looking Glass (2002年) ※カヴァー・アルバム
- 『ライヴ・イン・アムステルダム〜25th Anniversary』 - Live in Amsterdam (2003年) ※ライブ
- 『フォーリング・イン・ビトゥイーン』 - Falling in Between (2006年)
- 『フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライヴ』 - Falling in Between Live (2007年)
- 『35周年アニヴァーサリー・ツアー ライヴ・イン・ポーランド 2013』 - 35th Anniversary Tour: Live in Porland (2014年)
- 『ラジオ・ミュジコーラ』 - Radio Musicola (1986年)
- You've Got to Laugh (2006年)
- 『デビュー!』 - PhD (1981年、Atlantic)
- 『危険がいっぱい』 - Is It Safe? (1983年、WEA)
- Three (2009年、Voiceprint)
- 『エンプティ・グラス』 - Empty Glass (1980年、ATCO)
- 『チャイニーズ・アイズ』 - All the Best Cowboys Have Chinese Eyes (1982年、ATCO)
- 『ホワイト・シティ』 - White City : A Novel (1985年、ATCO)
- 『ディープ・エンド・ライブ』 - Deep End Live! (1986年、ATCO)
- 『アイアン・マン』 - Iron Man (1989年、Virgin)
- 『クライシス』 - Crises (1983年)
- 『ディスカバリー』 - Discovery (1984年)
- 『アイランズ』 - Islands (1987年)
- 『ヘヴンズ・オープン』 - Heaven's Open (1991年) ※Michael Oldfield名義
- 『神(帰ってきたフライング・アロウ)』 - The Michael Schenker Group (1980年、Chrysalis)
- 『イン・ザ・ミッドスト・オブ・ビューティー』 - In the Midst of Beauty (2008年、In-akustik)
- 『MSG 30周年記念コンサート - ライヴ・イン・トウキョウ』 - The 30th Anniversary Concert: Live in Tokyo (2008年、In-akustik)
- 『テンプル・オブ・ロック』 - Temple Of Rock (2011年、In-akustik)
- 『プリミティヴ・クール』 - Primitive Cool (1987年、Columbia)
脚注
外部リンク
- http://www.simon-phillips.com/ - Simon Phillips Official Site 公式サイト
- Toto - Official website TOTOの公式サイト(英語)
- - Phantom Recordings サイモンの所有するレコーディングスタジオ
- サイモン・フィリップス - Discogs