コンスタンチノ・ドラード(Constantino Dourado、1567年ごろ - 1620年)は、天正遣欧少年使節に随行した日本人。日本名は不明。肥前国(現在の長崎県諫早市)出身。「コンスタンティノ・ドーラード」とも表記する。
略歴
天正遣欧少年使節に随行し、(ジョルジュ・デ・ロヨラ)らと共に印刷技術を学んだ。インドのゴアでは『原マルティノの演説』、マカオでは『(日本使節見聞対話録)』を発行し、1590年、グーテンベルク式活版印刷機を持って帰国した。
また、帰国後はアレッサンドロ・ヴァリニャーノの秘書を務めたが、江戸時代の禁教令によりマカオへ退去した。マラッカで司祭に叙階され、1618年にはマカオのセミナリヨの院長となり、2年後、その地で死去した。
関連項目
関連書物
- 「活版印刷人ドラードの生涯―リスボン→長崎 天正遣欧使節の活版印刷」、(青山敦夫)著、(印刷学会)出版部、2001年:(ISBN 4-87085-170-9)
外部リンク
- コンスタンチノ・ドラード顕彰事業 - 昭和堂