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グレムリン・インダストリー

グレムリン・インダストリー(英:Gremlin Industries)は、1970年から1980年代初期にかけて存在したアメリカ合衆国アーケードゲーム製造会社[1]

グレムリン・インダストリー
設立 1973年 
解散 1983年 
本社

経歴

1970年カリフォルニア州サンディエゴにおいて、ソナー(魚群探知機)などを製造する海洋測定機器メーカーとして設立された。1973年にその電子技術を活かしエレメカにも参入、野球をモチーフにした最初の作品であるウォールゲーム、"Play Ball"の売れ行きは好調だった。

テレビゲーム黎明期に参入した会社の場合、殆どのデビュー作は『ポン』や『ブロックくずし』などパドルゲームとなる事が多いが、同社は『ブロッケード』と呼ばれる陣取りゲームだった。

その後は『ブロッケード』のアーケードゲーム基板システム基板として、多数のゲームを作り始めた。国内輸入されたものでは、駆逐艦潜水艦をテーマにした『ディプスチャージ』(1977年9月)がヒットし、これも日本で複数のメーカーから同じゲームが出た。詳細については「ディープスキャン」を参照。

1979年には、スペースインベーダーブームの波に乗れなかったセガ・エンタープライゼスが技術力を身に付けるため、アメリカ支社のセガがグレムリン・インダストリーを買収、「セガ・グレムリン」と呼ばれる様になった[1][2]。この時の技術協力にはアーケードゲーム基板として、『ヘッドオン』用基板や、ラスタースキャンベクタースキャン兼用のG80基板などが挙げられる。

その後技術部門はセガ・エレクトロニクスと改名したが、セガ本社が充分な技術力をつけたため、セガ・エレクトロニクスはアメリカの老舗ピンボールメーカーであるバリー社に譲渡された。しかし1983年にはアタリショックの犠牲となり、1984年には完全に業務を停止した。同社が自社開発したアーケードゲームの中には、異なる名前で再発売されたものもある。

日本製ゲームからのライセンス

脚注

  1. ^ a b “理想を追求したゲームギア,時代の先端を行ったアーケード基板……セガのハードに込められた矢木 博氏の矜持 ビデオゲームの語り部たち:第21部”. 4Gamer.net. Aetas (2021年2月6日). 2022年5月15日閲覧。
  2. ^ 株式会社インプレス (2016年5月23日). “「GAME ON」トークイベント「セガハードの歴史を語り尽くす」レポート 歴代セガハードの生みの親が集結した夢のキャスティングが実現!”. GAME Watch. 2022年5月15日閲覧。
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