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グリマルディ家(イタリア語: Famiglia Grimaldi, フランス語: Maison Grimaldi)は、ジェノヴァ出身の貴族の家系。
歴史
グリマルディ家の祖先として最も早く歴史に名が出てくるのは、1133年にジェノヴァ共和国の(コンスル)を務めた(オットーネ・カネッラ)であった。 その孫の(オベルト)が自らの父(グリマルド)(オットーネの末子)にちなんで「グリマルディ」の名を用いるようになった。
政治的に不安定だったジェノヴァの支配権をめぐって、他の有力な貴族家である(フィエスキ家)、(ドーリア家)、(スピノラ家)らと対立し、激しく争った[2][3]。1297年にモナコの統治者となり[4][5]、近傍のマントンも領した[6]。
16世紀、ジェノヴァに(白の宮殿)[7]と(ドーリアトゥルシ宮殿)[8]、(スピノラ宮)[9][10]を次々と建造するなど勢力を誇った。
1731年にモナコ公アントワーヌ1世が死去するとグリマルディ家の正嫡男系は断絶し[4]、その娘婿となった(ゴワイヨン・ド・マティニョン家)のジャック1世がグリマルディ家の諸権利を引き継いだ[4]。その最も重要な支流は現在モナコ公国を統治している。