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ガストン (オルレアン公)

ガストン・ジャン・バティスト・ド・フランスGaston Jean Baptiste de France, 1608年4月25日 - 1660年2月2日)は、ブルボン朝フランスの王子。オルレアン公duc d'Orléans)。

生涯

フランス王アンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの三男として、フォンテーヌブローで生まれた。兄にルイ13世ムッシュ・ドルレアン(夭折)、姉にスペインフェリペ4世エリザベート(イサベル)、サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世クリスティーヌ(クリスティーナ)、妹にイングランドチャールズ1世アンリエット(ヘンリエッタ)がいる。

1611年にムッシュ・ドルレアンが死亡してから、1638年にルイ13世の長子として後のルイ14世が生まれるまでの間は、フランスの推定王位継承者であった。

1608年にアンジュー公に叙され、1626年にオルレアン公、ブロワ伯、シャルトル伯となった。1628年、当時ユグノーの牙城であったラ・ロシェル包囲に軍を率いて参加。また、母マリーとリシュリュー枢機卿の政府に楯突き、ラングドックで王軍に完敗した後フランドルに逃亡した。やがて兄と和解して帰国するが、1635年にリシュリューに対して陰謀を企み国外へ逃げ、再度政府に服従させられた。

服従後もすぐに同じ陰謀を繰り返し、1642年に兄の寵臣サン=マール侯を操り、リシュリュー暗殺を画策したが失敗した。翌1643年に兄が亡くなると王国の陸軍大将となり、フランス北部でスペイン軍と戦った。1646年にはアランソン公になった。フロンドの乱(1648年 - 1653年)に際して、甥ルイ14世の重臣マザラン枢機卿に睨まれ、1652年に私領ブロワに蟄居させられ、そこで亡くなった。

子女

 
オルレアン公爵夫人マルグリット

1626年8月、ナントブルボン家支流のモンパンシエ公アンリ・ド・ブルボンの相続人マリーと結婚、1女をもうけたが、マリーは翌年に死去した。

1632年1月、ナンシーマルグリット・ド・ロレーヌロレーヌ公フランソワ2世の娘、シャルル4世の妹)と結婚、1男4女をもうけた。

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