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カラカルパクスタン共和国

カラカルパクスタン共和国
Qaraqalpaqstan Respublikası(カラカルパク語)
Qoraqalpogʻiston Respublikasi(ウズベク語)
((地域の旗)) ((地域の紋章))
地域の標語:無し
地域の歌:(カラカルパクスタン共和国国歌)(ロシア語版、ウズベク語版、カラカルパク語版)
公用語 カラカルパク語
ウズベク語
主都 ヌクス
最大の都市 ヌクス
政府
(最高会議議長)(ロシア語版、ウズベク語版、英語版) (ムラート・カマロフ)(ロシア語版)
閣僚会議議長 (カマラン・サリエフ)(ロシア語版)
面積
総計 161,358km2国内1位
水面積率 不明
人口
総計(2016年 1,791,100人(国内10位
人口密度 11.1人/km2
設置
カラカルパクASSR1932年7月20日
主権宣言1991年12月21日
ウズベキスタン国内の共和国として1991年12月25日
通貨 スムUZS
時間帯 UTC+5 (DST:なし)
ISO 3166-1 UZ
(3166-2:UZ-QR
ccTLD .uz
国際電話番号 998

カラカルパクスタン共和国カラカルパク語: Qaraqalpaqstan Respublikası/Қарақалпақстан Республикасыウズベク語: Qoraqalpogʻiston Respublikasi/Қорақалпоғистон Республикасиロシア語: Республика Каракалпакста́н)またはカラカルパクスタン自治共和国は、中央アジアウズベキスタン共和国西部にある自治共和国[1]主権国家ではなく、ウズベキスタンの一部である(後述)。人口は約170万人(2016年推計[2])。

名称

 

「カラカルパク」とは「黒い(カラ)帽子(カルパック)」のことで、「カラカルパクスタン」とは「黒い帽子を被る民族の国」を意味する。旧ソビエト連邦(ソ連)が同地を支配したとき、それまでウズベク族カザフ族方言と考えられていた同地の民族の言語を詳細に研究した旧ソ連の言語学者が、「同地の民族の言語は、ウズベク語とは異なりカザフ語と発祥を同じくする別の言語である」と認定したことにより、「カラカルパク族」が創出された。それ以前までは、ホレズム帝国を構成する部族であり、口承叙事詩(ダスタン)(英語版))を元に、ロシアサラトフやカザフの(キジルカラ)(英語版)(en:Sherkalaの麓)から移動してきたという伝承のみが同民族のアイデンティティを支えてきた。

地理

同国の西部に位置し、ホラズム州ブハラ州ナヴォイ州に隣接するほか、カザフスタントルクメニスタン国境を接する。また共和国北部は「縮小する湖」と呼ばれるアラル海に面している。

歴史

1924年の民族境界画定により、旧ヒヴァ・ハン国領の一部、およびロシア帝国領だったザカスピ州シルダリヤ州の領域の一部から、1925年に(カラカルパク自治州)(ロシア語版、英語版)1925年 - 1932年)が設置され、現在のカラカルパクスタン共和国の領域が成立した。1930年にカラカルパク自治州は(キルギス自治ソビエト社会主義共和国)(英語版)(現在のカザフスタン)の管轄下に置かれたが、1932年にカラカルパク自治共和国1932年 - 1936年)に昇格した。1936年にウズベク・ソビエト社会主義共和国管轄下のカラカルパク自治ソビエト社会主義共和国1936年 - 1992年)に移管された。

ソビエト連邦の崩壊に伴う1991年のウズベキスタンの独立後、1992年カラカルパクスタン共和国に改組された。

国家機関

カラカルパクスタン共和国は、独自の憲法を持ち、国旗国章国歌を制定しているほか、国語としてカラカルパク語ウズベク語を規定している。国家の代表者は(カラカルパクスタン共和国最高会議(ジョカルガ・ケンギス))(ロシア語版、ウズベク語版、英語版)の議長であり、行政府は閣僚会議議長(首相)が統括する。

ウズベキスタン共和国とカラカルパクスタン共和国との関係はウズベキスタン共和国憲法の枠組みの中において、両国の締結した条約と協定によって調整される。カラカルパクスタン共和国はカラカルパクスタン国民全体の国民投票に基づいて、ウズベキスタン共和国から脱退する権利を有する、と憲法第1条に規定している。つまり、ウズベキスタン憲法の枠を超えることはできないし、外交権なども有していない。

この離脱の権利を否定する項目が含まれた(ウズベキスタン共和国憲法改正案)(ウズベク語版)に対する数千人規模の(抗議デモ)(ロシア語版、ウズベク語版、英語版)が首都ヌクスで2022年7月1日に発生したため、シャフカト・ミルジヨエフ大統領は翌日現地入りしてカラカルパクスタン選出議員と会談して当該項目を撤回する一方で、治安部隊にデモ隊を取り締まらせ、同3日から一カ月間の非常事態宣言を布告して沈静化を図った[1]

行政区分

 
カラカルパクスタン共和国の行政区分

カラカルパク共和国は、12の地区(都市、カラ)、16の町(ポショルカ)、120の村(アウル)から成っている。

  1. (アムダリオ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  2. (ベルニイ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  3. (チンボイ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  4. (エリクカラ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  5. (ケゲイリ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  6. (モイナク地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  7. (ヌクス地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  8. (カンリコリ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  9. (コンギラト地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  10. (カラウーザク地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  11. (シュマナイ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  12. (タフタクピル地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  13. (トゥルトクリ地区)(カラカルパク語版、ウズベク語版、ロシア語版、英語版)
  14. (ホジェリ地区)(ウズベク語版、ロシア語版、英語版)

主要都市

首都ヌクス[1](カラカルパク語: Nökis、ウズベク語: Nukus、ロシア語: Нуку́с)のほか、主要都市として、ホジェリモイナクがある。

経済

カラカルパクスタン共和国の経済は、綿花メロンなどの農業に支えられている。かつて盛んだった漁業はアラル海の縮小に伴う環境悪化のため、現在はほとんど行われていない。クングラードの西方では、中国資本による苛性ソーダ水酸化ナトリウム)生産工場が最近になって稼動を開始した。南部のトルトクール行政区では、旧ソ連時代には原油を産出していた。

住民

共和国の人口は2005年の統計で約120万人と推計される。近年、カザフ人はカザフスタンへ、ロシア人や朝鮮族(高麗人)はロシアへ移住する傾向が高い。タタール人ウズベク人は、親類を頼ってウズベキスタンの首都タシケントなど生活水準の高い都市へ移住する傾向が見られる。したがって、同共和国の住民によると、共和国の人口は減少する傾向にあると言われている。

民族

民族構成は、テュルク系のウズベク人が最大勢力であり36%、次に同じくテュルク系のカラカルパク人が32%、他にカザフ人が25%となる。他にもトルクメン人、ロシア人、タタール人沿海州から移住させられてきた朝鮮民族(高麗人)なども住む。

言語

公用語カラカルパク語ウズベク語。民族間共通語や学術語でロシア語も使われる。

宗教

住民の大半はスンナ派イスラームを信仰し、ロシア人や高麗人は正教を、極めて限られているがプロテスタントを信仰する住民もいる。

文化

首都のヌクスにはイゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館と共和国国立博物館がある。

脚注

  1. ^ a b c “ウズベクで改憲反対デモ 大統領、一部条項を撤回”. 産経新聞デジタル. (2022年7月3日). https://www.sankei.com/article/20220703-TBMVGOJJ6NNTPNFVSAUAF5CMC4/ 2022年7月5日閲覧。 
  2. ^ Citypopulation.de/Republic of Uzbekistan

関連項目

外部リンク

  • カラカルパクスタン共和国ポータルサイト(カラカルパク語) (ウズベク語) (英語) (ロシア語)
  • 一橋大学経済学部 水岡ゼミ巡検報告 中央アジア2003夏 (ヌクス 2003/09/07)
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