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エリオット・イングバー

エリオット・イングバー (Elliot Ingber1941年8月24日 - ) は、アメリカ合衆国のギタリストである。フランク・ザッパが率いたザ・マザーズ・オブ・インヴェンションドン・ヴァン・ヴリートが率いたキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドで活動した。

経歴

ミネソタ州ミネアポリス出身。1959年、サーフ・ミュージックのザ・ギャンブラーズ(The Gamblers)に参加。メンバーには、後にキャンド・ヒートに加入したラリー・テイラー(ベース・ギター)やザ・ビーチ・ボーイズに加入したブルース・ジョンストン(キーボード)がいた[1]

1966年2月、ザッパが率いるザ・マザーズ(The Mothers)に加入。彼等は3月にMGMレコードの子会社であるヴァーヴ・レコードと契約を結んで[2]デビュー・アルバム『フリーク・アウト!』を制作し、バンド名をザ・マザーズ・オブ・インヴェンション(The Mothers of Invention)に変えて同年6月に発表。しかしイングバーは、アルバムの発売にともなうツアーの直後の7月に解雇された[注釈 1][3]

ローレンス・"スタッシュ"・ワグナー(ボーカル)、リーダーのローウェル・ジョージが脱退して空中分解したザ・ファクトリーのリッチー・ヘイワード(ドラムス)らとザ・フラタニティ・オブ・マン(Fraternity of Man)を結成。1968年に発表したデビュー・アルバムから'Don't Bogart Me'が映画『イージー・ライダー』で使用され、唯一のスマッシュ・ヒットとなった。1969年には2作目のアルバムを発表した[1]

1971年にキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド(Captain Beefheart and The Magic Band)に加入し[4]、ヴァン・ヴリートから与えられた「ウィングド・イール・フィンガーリング」(Winged Eel Fingering、翼の生えたウナギのような指使いの意)なるステージ名で活動した[注釈 2]。キャプテン・ビーフハート名義のアルバム『スポットライト・キッド[注釈 3]の制作と、1972年1月から始まったツアーに参加した。一旦脱退したあと1974年ごろ復帰して、同年、弟のアイラ・イングバー(ベース・ギター)と共にアルバム『ブルージーンズ・アンド・ムーンビームズ』の制作に参加したが、プロデューサーが彼の演奏をヴァン・ヴリートに無断で抜き取ってしまい[注釈 4][5]、彼を参加者に加えなかった[注釈 5]。翌1975年に再結成されたキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーとして、7月の第2回ネブワース・フェスティバルに出演したほか、10月下旬からのヨーロッパ・ツアーに参加した[6]

その後、リトル・フィートのいくつかの作品に客演。リトル・フィートは、ザ・ファクトリーから脱退したローウェル・ジョージが、ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションへ参加した後に、ロイ・エストラーダ[注釈 6](ベース・ギター)、元ザ・ファクトリーでザ・フラタニティ・オブ・マンで活動したヘイワードらと結成したバンドであった。

1978年、「マーキュリー・フライヤー」(Mercury Flyer)の名前で、ゲイリー・マーカー[注釈 7](ベース・ギター)、マーズ・ボンファイヤー(ギター)[注釈 8]らとジューシー・グルーヴ(Juicy Groove[7]を結成し、アルバムFirst Taste[8]を発表。

1995年、ワグナーとともにザ・フラタニティ・オブ・マンを再結成し、マリブ・レコード・レーベルから3枚目のアルバム『X』[9]をリリースした。2001年には、30年以上にわたるキャリアの中で録音された音源を集大成した初のソロ・アルバム『ザ・ザ・ザ・ザ』[10]を日本のレーベルからリリースした。

ディスコグラフィ

ソロ・アルバム

  • 『ザ・ザ・ザ・ザ』 - The The The The (2001年、Dreamsville)

参加アルバム

参加シングル

  • The Moondogs : "Moondog" (195?年)
  • The Moondogs : "Mooncat" (195?年)
  • The Gamblers : "Moon Dawg!" (1960年)[12]

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ a b Ulrich (2018), p. 167.
  2. ^ Miles (2004), p. 111.
  3. ^ Miles (2004), pp. 134–135.
  4. ^ Barnes (2011), p. 138.
  5. ^ Barnes (2011), pp. 201–202.
  6. ^ Barnes (2011), pp. 215–218.
  7. ^ “Discogs”. 2023年4月16日閲覧。
  8. ^ “Discogs”. 2023年4月16日閲覧。
  9. ^ “Discogs”. 2023年4月16日閲覧。
  10. ^ “Discogs”. 2023年4月16日閲覧。
  11. ^ “Discogs”. 2023年4月16日閲覧。
  12. ^ “Discogs”. 2023年4月16日閲覧。

注釈

  1. ^ ザッパが嫌った薬物摂取が理由とされている。
  2. ^ キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーは全員、ヴァン・ヴリートがつけた奇妙なステージ名を名乗ることが義務だった。
  3. ^ キャプテン・ビーフハート名義だが、キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドのメンバーは参加した。
  4. ^ ヴァン・ヴリートによると、イングバーはヴァン・ヴリートとの共作'Party of Special Things to Do'の録音に参加したが、プロデューサーでマネージャーでもあったアンディ・ディマルティーノは、ヴァン・ヴリートに無断でイングバーの演奏を抜き取った。ヴァン・ヴリートは、ディマルティーノが他にも幾つかの曲のドラムスの録音を好きなように変えたりして、このアルバムを彼の許可を得ずに仕上げて発表したと主張した。
  5. ^ 9曲の収録曲のうちの2曲の共作者にされている。
  6. ^ ジョージのザ・マザーズ・オブ・インヴェンション時代の同僚だった。ザ・マザーズの前身であるザ・ソウル・ジャイアンツのメンバーで、引き続いてザ・マザーズとザ・マザーズ・オブ・インヴェンションに在籍して、ザッパと69年10月まで活動した。1972年にはキャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンドに加入。イングバーとは両方のバンドで一緒だった。
  7. ^ タージ・マハールのライジング・サンズのメンバー。1968年にはキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドに在籍した。本人の希望で仮メンバーの契約だった。
  8. ^ ステッペンウルフのメンバー。「ワイルドでいこう!」の作者。。

参考文献

  • Barnes, Mike (2011), Captain Beefheart: The Biography, Omnibus Press, ISBN (978-1-78038-076-6) 
  • Miles, Barry (2004), Zappa, Grove Press, ISBN (0-8021-4215-X) 
  • Ulrich, Charles (2018), The Big Note: A Guide To The Recordings Of Frank Zappa, New Star, ISBN (978-1-55420-146-4) 

外部リンク

  • エリオット・イングバー - Discogs
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