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エイダン・オブライエン

エイダン・オブライエンAidan Patrick O'Brien1969年10月16日 - )は、アイルランドティペラリー県バリードイル調教場を本拠地とする調教師イギリスニューマーケットを拠点とするジョン・ゴスデンゴドルフィンの専属調教師であるチャーリー・アップルビーと並び、現代の世界競馬を代表する調教師のひとりである。

エイダン・オブライエン
2012年エプソムダービーキャメロットの様子を見るスタート前のオブライエン調教師
基本情報
国籍 アイルランド
出身地 アイルランドウェックスフォード県
生年月日 (1969-10-16) 1969年10月16日(53歳)
所属団体 {{{団}}}
初免許年 {{{初}}}
経歴
所属 クールモアスタッド
(テンプレートを表示)

長男のジョセフ・オブライエン、次男のドナカ・オブライエンは共に元騎手で現在は調教師[1]。バリードイルの設立者である大調教師ヴィンセント・オブライエンとは同姓だが、血縁関係はない。

略歴

1969年にアイルランド・ウェックスフォード県で農場の息子として誕生する。カラ競馬場近くの厩舎で働いたのち、アイルランドの名伯楽ジム・ボルジャー調教師のもとで調教助手として働き始める。

その後、将来の妻となるアン・マリー・クローリー調教師の調教助手となり、1991年に結婚する。1993年に調教師免許を取得し、妻の厩舎を引き継ぐ形で調教師生活をスタートさせた。当初は障害調教師として名を上げ、1993-1994年シーズンから1997-1998年シーズンまで5年連続でアイルランド障害リーディング・トレーナーに輝く。また障害のアマチュア騎手としても活躍し、1993-1994年シーズンにはアイルランドのアマチュア騎手チャンピオンとなった。

その腕をクールモアグループの総帥ジョン・マグナーに認められ、引退したヴィンセント・オブライエンの後任に抜擢されてバリードイルに厩舎を開業。クールモアの専属調教師として平地競走でも活躍し始める。ガリレオジャイアンツコーズウェイロックオブジブラルタルなど幾多の名馬を育て上げ、1997年から2006年まで10年連続でアイルランド平地リーディング・トレーナーを獲得。さらに2001年2002年にはイギリス平地リーディング・トレーナーにも輝いている。

バリードイルでは日本人スタッフも数名働いているが、管理馬を日本に遠征させることはほとんどない。実際に出走したのは2004年ジャパンカップのパワーズコート、2010年ジャパンカップのジョシュアツリー、2017年ジャパンカップのアイダホ、2018年のカプリの4頭である。2007年のジャパンカップに出走予定だった同年のヨーロッパ年度代表馬ディラントーマスは検疫段階で入国が認められず出走できなかった。

2016年の凱旋門賞には3頭を出走させ、その3頭が上位を独占という史上初の快挙を成し遂げた。しかもその3頭全てが、自身が管理したガリレオ産駒であった。

2017年にはG1レース計28勝をあげ、故ロバート・フランケル元調教師が持つ平地G1年間世界最多勝記録を塗り替える快挙を成し遂げた。

2022年6月18日ハードウィックステークスブルームで勝利して、重賞900勝目を達成した[2]

おもな管理馬

おもな専属騎手

脚注

  1. ^ 平松さとし. 【世界の騎手列伝 vol.135】ドナカ・オブライエン(PART-2). UMAJiN(2018年5月17日付). 2018年7月31日閲覧
  2. ^ “ブルームが英G2ハードウィックSで昨年2着の雪辱、オブライエン師は重賞900勝を達成”. JRA-VAN ver.World. 2022年6月20日閲覧。
  3. ^ ムーア騎手、オブライエン厩舎の主戦騎手へ(アイルランド) - ジャパン・スタンドブック・インターナショナル 2015年11月5日閲覧
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