ウィルフレド・ベニテス(Wilfred Benitez、男性、1958年9月12日 - )は、プエルトリコの元プロボクサー。アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ。史上最年少(17歳6か月)で世界王座を獲得。スーパーライト級、ウェルター級、スーパーウェルター級で3階級制覇を成し遂げた。
来歴
1973年11月22日、プロデビュー。
1976年3月6日、WBA世界スーパーライト級タイトルマッチでアントニオ・セルバンテスに15R判定勝ち(2-1)を収め、同王座を獲得し、17歳6か月で史上最年少世界王者となった。同王座は2回の防衛成功の後、同年12月に返上した。
1979年1月14日、WBC世界ウェルター級タイトルマッチでカルロス・パロミノに15R判定勝ち(2-1)を収め、同王座を獲得し、2階級制覇に成功した。
1979年11月30日、2度目の防衛戦でシュガー・レイ・レナードに15RTKO負けを喫し、王座から陥落した。
1981年5月23日、WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチでモーリス・ホープと対戦し、12RKO勝ちを収め、同王座を獲得し、3階級制覇に成功した。
1982年1月30日、ロベルト・デュランに15R判定勝ち(3-0)を収め、2度目の防衛に成功した。
1982年12月3日、ルイジアナ・スーパードームで2階級制覇を目論むトーマス・ハーンズと3度目の防衛戦で対戦し、15R判定負け(0-2)で王座から陥落した。
1990年9月29日、スコット・パパサドラとの試合を最後に引退した。
幼少期に父から厳しい練習を課された反動からプロ入りの時点ではすっかり練習嫌いとなったことでも知られ、1979年のレナード戦は試合前1週間の練習だけで調整したという。それが祟り被弾しKO負けすることが多くなったキャリア晩年に差し掛かってから重度のパンチドランカーの症状に悩まされた。
現役終盤は医学的な観点からプエルトリコでは試合出場不能で、僅かなファイトマネー欲しさにアルゼンチンに渡航。アルゼンチンでもドクターストップがかかるほどの慢性外傷性脳症の状態であったが、最終的にはなぜか試合が組まれた。この試合でもKO負けするが、試合後にプロ―モーターがベニテスのパスポートを盗み、ファイトマネーも支払わず逃走。以降ベニテスはプエルトリコ政府が捜索して発見するまで4年間ホームレス同然の生活を送った。なおも安いファイトマネー欲しさのためにその後も4試合を行ったが、38歳の時に母親の自宅のリビングで倒れると昏睡状態に陥った。一命をとりとめたものの一人でまともに生活できないどころか自分を認識できない廃人同然の心神喪失状態となった。引退後も時折メディアに姿を現す彼だが、その度に姉の介護を受けながら静かに仲良く暮らす姿が伝えられている。
獲得タイトル
- WBA世界スーパーライト級王座(防衛2度)
- WBC世界ウェルター級王座(防衛1度)
- WBC世界スーパーウェルター級王座(防衛2度)
関連項目
外部リンク
- ウィルフレド・ベニテスの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 アントニオ・セルバンテス | WBA世界スーパーライト級王者 1976年3月6日 - 1976年12月(返上) | 空位 次タイトル獲得者 アントニオ・セルバンテス |
前王者 カルロス・パロミノ | WBC世界ウェルター級王者 1979年1月14日 - 1979年11月30日 | 次王者 シュガー・レイ・レナード |
前王者 モーリス・ホープ | WBC世界スーパーウェルター級王者 1981年5月23日 - 1982年12月3日 | 次王者 トーマス・ハーンズ |