ウィリアム・レナード・ローレンス(英語: William Leonard Laurence、1888年3月7日 - 1977年3月18日)は、アメリカ合衆国の科学ジャーナリストである。
経歴
リトアニア・(サランタイ)生まれ[1]。1905年渡米し、ハーバード大学、ハーバード・ロー・スクール、ボストン大学で学んだ[1]。1913年アメリカ合衆国に帰化、第一次世界大戦で(アメリカ陸軍通信部隊)に配属された[1]。1919年、フランス・ブザンソンの(フランシュ=コンテ大学)に留学[1]。1926年ジャーナリストになり、1930年『ニューヨーク・タイムズ』に移籍した[1]。
1945年4月、アメリカ合衆国陸軍省と契約し、マンハッタン計画の公式歴史家を兼務[2]。同年7月16日、ジャーナリストとしてただひとり、人類初の核実験「トリニティ実験」の見学を許可され、実験場のあるニューメキシコ州では残留放射能がほとんどない、との記事を書いた[1][2]。8月9日、長崎市への原子爆弾投下に同行し上空から取材した[1]。原子爆弾開発の経緯や科学者らの成果について、9月26日から10月9日まで10回にわたって連載し、翌1946年2回目のピュリッツァー賞を受賞した[2]。
著作
- Dawn Over Zero: The story of the atomic bomb. New York: Knopf, 1946.
- We are not Helpless: How we can defend ourselves against atomic weapons. New York, 1950.
- The Hell Bomb. New York: Knopf, 1951.
- Men and Atoms: The discovery, the uses, and the future of atomic energy. New York: Simon and Schuster, 1959.
脚注
外部リンク
- Laurence, William. L (1947), (Dawn Over Zero: The Story of the Atomic Bomb), Bristol: Western Printing Services Ltd. - Internet Archive