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イフィクラテース(古代ギリシア語: Ἰφικράτης Iphikrátēs、紀元前415年頃 - 紀元前353年)は、アテナイの将軍、傭兵隊長。
生涯
父親が靴職人であったため、アテナイでは軽んじられていた[1]が、コリントス戦争の(レカイオンの戦い)(紀元前390年)で、小型で軽い革製の盾と投げ槍を装備し、機動力に優れた軽装歩兵を指揮して、スパルタの重装歩兵軍に勝利した功績を認められ、重用されるようになった。その後は防御力を犠牲に機動力を向上させた、長槍を装備した部隊を考案し、(へレスポントス)でいくつかの成功を収めた[1]。アンタルキダスの和約(大王の和約)が結ばれてからはトラキアに撤退し、トラキア地方で傭兵隊長やアテナイの将軍として活躍した[1]。フィリッポス2世の下で力を増したマケドニアが画策して起こった(へレスポントス)周辺での反乱の鎮圧にあたり軍を指揮していた際、(エンバダの海戦)(紀元前356年)の敗北の責任を取らされ、解任された[1]。
原語の音に従うならば、「イープィクラテース」が正しい表記。[要出典]
脚注
参考文献
- 市川定春『古代ギリシア人の戦争 会戦事典 800BC-200BC』(2003年、新紀元社)