水 などある種の溶媒 の分子 は、プロトン の供与および受容の両方を行うことができる。このような溶媒中では、一部の溶媒が溶媒同士でプロトンを授受し、イオン化 している。この平衡 を溶媒の自己解離 (じこかいり)と呼ぶ[1] 。
定義 溶媒分子を、プロトン を明らかにして HSol と書くと、この溶媒の自己解離平衡は
2 HSol ↽ − − ⇀ H 2 Sol + + Sol − {\displaystyle {\ce {{2HSol}<=>{H2Sol^{+}}+Sol^{-}}}} と書くことができる。
例えば、
水 2 H 2 O ↽ − − ⇀ H 3 O + + OH − {\displaystyle {\ce {{2H2O}<=>{H3O^{+}}+OH^{-}}}} メタノール 2 MeOH ↽ − − ⇀ MeOH 2 + + MeO − {\displaystyle {\ce {2MeOH<=>{MeOH2^{+}}+MeO^{-}}}} である。ただし、遊離のプロトンが存在しているわけではなく常に溶媒和 している。プロトンを受容した溶媒陽イオン をリオニウム (lyonium)、プロトンを供与した溶媒陰イオン をライエイト (lyate)と呼ぶ[2] 。
酸塩基平衡 溶媒HSol中において以下のような酸 HAの電離平衡 が右辺に著しく偏りリオニウムを定量的に生成する場合、HAは溶媒HSol中において強酸 であり、平衡が左辺に偏る場合は弱酸 として挙動する[3] 。
HSol + HA ↽ − − ⇀ H 2 Sol + + A − {\displaystyle {\ce {{HSol}+HA<=>{H2Sol^{+}}+A^{-}}}} また溶媒HSol中において以下のような塩基 Bの電離 平衡が右辺に著しく偏りリエイトを定量的に生成する場合、Bは溶媒HSol中において強塩基 であり、平衡が左辺に偏る場合は弱塩基 として挙動する[3] 。
HSol + B ↽ − − ⇀ HB + + Sol − {\displaystyle {\ce {{HSol}+B<=>{HB^{+}}+Sol^{-}}}}
自己解離定数 自己解離平衡において、生成したリオニウムとリエイトの濃度の積は温度と圧力に依存する一定の値であり、これを自己解離定数 、またはイオン積 と呼び K ap で表す。厳密にはイオン濃度の代わりにイオン活量 を用いるが、一般的に自己解離により生成するイオン濃度は小さいため無限希釈と見なされ濃度と活量はほぼ一致する。
K a p = [ H 2 S o l + ] [ S o l − ] / m o l 2 L − 2 {\displaystyle K_{\mathrm {ap} }=[\mathrm {H_{2}Sol} ^{+}][\mathrm {Sol} ^{-}]/\mathrm {mol^{2}~L^{-2}} } 水の場合は一般に K W で表し、
K W = [ H 3 O + ] [ O H − ] / m o l 2 L − 2 {\displaystyle K_{\mathrm {W} }=[\mathrm {H_{3}O} ^{+}][\mathrm {OH} ^{-}]/\mathrm {mol^{2}~L^{-2}} } である。25 ℃の場合、約10−14 である。また、この対数をとって符号を変えた pK ap (= −log10 K ap )または pK W (水の場合約14)を自己解離定数またはイオン積と呼ぶこともある。
自己解離定数は溶媒のプロトン供与性および受容性が高いほど大きくなり、また比誘電率 が高いほど解離しやすくなる。また溶媒の比電気伝導度 は自己解離により生成するイオンの濃度と移動度の積にほぼ比例し、またイオンの移動度は電気泳動 的で特にイオン半径の大きなものはストークスの法則 に支配され、溶媒和イオンの半径が小さいほど高く、溶媒の粘度 に反比例 する[4] [5] 。ただし、この比伝導度は水分など極微量の不純物に著しく影響され、自己解離定数の小さい溶媒は特に誤差 が大きい。
主な溶媒の自己解離定数 pK ap [3] [5] [6] [7] [8] 溶媒 平衡 比誘電率 比伝導度 / Ω-1 cm-1 pK ap 温度 水 2 H 2 O ↽ − − ⇀ H 3 O + + OH − {\displaystyle {\ce {2H2O<=>{H3O^{+}}+OH^{-}}}} 78.54 6.40×10−8 13.996 25℃ メタノール 2 CH 3 OH ↽ − − ⇀ CH 3 OH 2 + + CH 3 O − {\displaystyle {\ce {2CH3OH<=>{CH3OH2^{+}}+CH3O^{-}}}} 32.6 1.5×10−9 16.7 25℃ エタノール 2 CH 3 CH 2 OH ↽ − − ⇀ CH 3 CH 2 OH 2 + + CH 3 CH 2 O − {\displaystyle {\ce {2CH3CH2OH<=>{CH3CH2OH2^{+}}+CH3CH2O^{-}}}} 24.3 1.35×10−9 19.1 25℃ エチレングリコール 2 HO ( CH 2 ) 2 OH ↽ − − ⇀ HO ( CH 2 ) 2 OH 2 + + HO ( CH 2 ) 2 O − {\displaystyle {\ce {2HO(CH2)_{2}OH<=>{HO(CH2)_{2}OH2^{+}}+HO(CH2)_{2}O^{-}}}} 40.8 1.16×10−6 14.2 25℃ ホルムアミド 2 HCONH 2 ↽ − − ⇀ HCONH 3 + + HCONH − {\displaystyle {\ce {2HCONH2<=>{HCONH3^{+}}+HCONH^{-}}}} 109.5 2×10−7 16.8 25℃ アセトニトリル 2 CH 3 CN ↽ − − ⇀ CH 3 CNH + + CH 2 CN − {\displaystyle {\ce {2CH3CN<=>{CH3CNH^{+}}+CH2CN^{-}}}} 36.0 1.76×10−7 (20℃) 28.5 25℃ フルオロスルホン酸 2 HSO 3 F ↽ − − ⇀ H 2 SO 3 F + + SO 3 F − {\displaystyle {\ce {2HSO3F<=>{H2SO3F^{+}}+SO3F^{-}}}} 150 1.085×10−4 7.6 25℃ 硫酸 2 H 2 SO 4 ↽ − − ⇀ H 3 SO 4 + + HSO 4 − {\displaystyle {\ce {2H2SO4<=>{H3SO4^{+}}+HSO4^{-}}}} 101 1.044×10−2 2.9 25℃ 硝酸 2 HNO 3 ↽ − − ⇀ NO 2 + + NO 3 − + H 2 O {\displaystyle {\ce {2HNO3<=>{NO2^{+}}+{NO3^{-}}+H2O}}} - 3.72×10−2 1.2 25℃ フッ化水素 2 HF ↽ − − ⇀ H 2 F + + F − O {\displaystyle {\ce {2HF<=>{H2F^{+}}+F^{-}O}}} 83.6 1.6×10−6 9.7 0℃ ギ酸 2 HCOOH ↽ − − ⇀ HCOOH 2 + + HCOO − {\displaystyle {\ce {2HCOOH<=>{HCOOH2^{+}}+HCOO^{-}}}} 58.5 6.08×10−5 6.2 25℃ 酢酸 2 CH 3 COOH ↽ − − ⇀ CH 3 COOH 2 + + CH 3 COO − {\displaystyle {\ce {2CH3COOH<=>{CH3COOH2^{+}}+CH3COO^{-}}}} 6.13 (20℃) 1.12×10−8 14.45 25℃ シアン化水素 2 HCN ↽ − − ⇀ HCNH + + CN − {\displaystyle {\ce {2HCN<=>{HCNH^{+}}+CN^{-}}}} 118.8 (18℃) 5×10−7 (0℃) 18.7 12℃ アンモニア 2 NH 3 ↽ − − ⇀ NH 4 + + NH 2 − {\displaystyle {\ce {2NH3<=>{NH4^{+}}+NH2^{-}}}} 22.4 16.9 2.97×10−7 (−35℃) 32.5 27.7 −33℃ 25℃ エタノールアミン 2 H 2 N ( CH 2 ) 2 OH ↽ − − ⇀ H 3 N ( CH 2 ) 2 OH + + H 2 N ( CH 2 ) 2 O − {\displaystyle {\ce {2H2N(CH2)2OH<=>{H3N(CH2)2OH^{+}}+H2N(CH2)2O^{-}}}} 37.7 - 5.2 25℃ エチレンジアミン 2 H 2 N ( CH 2 ) 2 NH 2 ↽ − − ⇀ H 2 N ( CH 2 ) 2 NH 3 + + H 2 N ( CH 2 ) 2 NH − {\displaystyle {\ce {2H2N(CH2)2NH2<=>{H2N(CH2)2NH3^{+}}+H2N(CH2)2NH^{-}}}} 12.9 9×10−8 15.3 25℃
温度および圧力依存性 水の自己解離に関する熱力学 的諸量は以下の通りである[9] 。
Δ H ∘ {\displaystyle \Delta H^{\circ }} Δ G ∘ {\displaystyle \Delta G^{\circ }} Δ S ∘ {\displaystyle \Delta S^{\circ }} Δ C p ∘ {\displaystyle \Delta C_{p}^{\circ }} Δ V ∘ {\displaystyle \Delta V^{\circ }} 自己解離 55.836 kJ mol−1 79.885 kJ mol−1 −80.66 J K−1 mol−1 −223.8 J K−1 mol−1 −22.07 cm3 mol−1
水の自己解離定数pK ap の温度依存性(25MPa)
温度依存性 水の自己解離は吸熱的であるため自己解離定数は温度 の上昇と伴に増大する。ギブス自由エネルギー の温度変化とエンタルピー 変化の間には以下の関係があり、
( ∂ ( Δ G / T ) ∂ T ) P = − Δ H T 2 {\displaystyle \left({\partial (\Delta G/T) \over {\partial T}}\right)_{P}=-{\Delta H \over {T^{2}}}} またギブス自由エネルギーと平衡定数の関係 ΔG = -RT lnK から、平衡定数の温度依存性は以下のようになる。
( ∂ ln K a p ∂ T ) P = Δ H ∘ R T 2 {\displaystyle \left({\partial \ln K_{\mathrm {ap} } \over {\partial T}}\right)_{P}={\Delta H^{\circ } \over {RT^{2}}}} 圧力依存性 また解離によりイオンの水和 による電縮が起こるため、エントロピー および(部分モル体積 )は減少し、圧力 の上昇と伴に自己解離定数は増大する。
( ∂ Δ G ∂ P ) T = Δ V {\displaystyle \left({\partial \Delta G \over {\partial P}}\right)_{T}=\Delta V}
希薄塩基性溶液の pH pH は溶液中の水素イオンの活量 、あるいはリオニウムの活量で、
p H = − log 10 a H + {\displaystyle \mathrm {pH} =-\log _{10}a_{\mathrm {H} ^{+}}} と定義されるが、希薄溶液では活量を濃度で近似して、
p H ≈ − log 10 ( [ H + ] / m o l d m − 3 ) = p K W + log 10 ( [ O H − ] / m o l d m − 3 ) {\displaystyle \mathrm {pH} \approx -\log _{10}\left([\mathrm {H} ^{+}]/\mathrm {mol~dm^{-3}} \right)=\mathrm {p} K_{\mathrm {W} }+\log _{10}\left([\mathrm {OH} ^{-}]/\mathrm {mol~dm^{-3}} \right)} のように表すこともできる。このように、希薄塩基性溶液の pH を [OH− ] で近似的に求める場合、水の自己解離定数に依存する。
プロトン授受性から見た溶媒の分類 水に代表されるプロトン授受が可能な溶媒を「両性溶媒」と呼び、他にアルコール類や過酸化水素 、酢酸 などが挙げられる。プロトン供与性は強いが受容性の弱い溶媒を「酸性溶媒」あるいは「プロトン供与性溶媒」と呼び、酢酸や硫酸 などがある。一方、プロトン受容性は強いが供与性が弱い、あるいはほとんどない溶媒を「プロトン受容性溶媒」あるいは「塩基性溶媒」と呼び、液体アンモニア やピリジン などが挙げられる。プロトン供与性溶媒やプロトン受容性溶媒も一部は純溶媒中でもプロトン授受を行っている。一方、プロトン解離がほとんど起こらない溶媒は一般に「非プロトン性溶媒 」として区別される。
脚注 [脚注の使い方 ]
^ IUPAC Gold Book - autoprotolysis ^ N. Bjerrum, 1935. ^ a b c 田中元治 『基礎化学選書8 酸と塩基』 裳華房、1971年 ^ 田村英雄, 松田好晴 『現代電気化学』 培風館、1978年 ^ a b 藤代亮一, 和田悟朗, 玉虫伶太 『溶液の性質II 現代物理化学講座8』 東京化学同人、1968年 ^ FA コットン, G. ウィルキンソン著, 中原 勝儼訳 『コットン・ウィルキンソン無機化学』 培風館、1987年,原書:F. ALBERT COTTON and GEOFFREY WILKINSON, Cotton and Wilkinson ADVANCED INORGANIC CHEMISTRY A COMPREHENSIVE TEXT Fourth Edition, INTERSCIENCE, 1980. ^ シャロー 『溶液内の化学反応と平衡』 藤永太一郎、佐藤昌憲訳、丸善、1975年 ^ 日本化学会編 『改訂4版 化学便覧基礎編II』 丸善、1993年 ^ D.D. Wagman, W.H. Evans, V.B. Parker, R.H. Schumm, I. Halow, S.M. Bailey, K.L. Churney, R.I. Nuttal, K.L. Churney and R.I. Nuttal, The NBS tables of chemical thermodynamics properties, J. Phys. Chem. Ref. Data 11 Suppl. 2 (1982).
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