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イオアニアの戦いとはボエモン率いるノルマン軍とアレクシオス1世コムネノス率いる東ローマ軍との戦いであり、ノルマン軍が勝利した。
イオアニアの戦い | |
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ノルマン・東ローマ戦争中 | |
衝突した勢力 | |
ノルマン人 | 東ローマ帝国 |
指揮官 | |
ボエモン | アレクシオス1世コムネノス |
戦力 | |
? | ? |
被害者数 | |
? | ? |
経過
デュッラキウムを占領したロベルトは神聖ローマ帝国の南下を食い止めるため、イタリアに帰国した。占領地を託された息子のボエモンはさらに領土を拡大すべくエピロスに進軍した。一方東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスも、教会から強制的に資金を徴収して新たな傭兵軍を編成し、バルカンに居座るノルマン人を排除すべく出撃した。 両者はイオアニアで対峙したが、現地のヴラフ人の支持をえたノルマン軍が皇帝軍を撃破した。
その後の戦況
ノルマン軍は勝利をおさめたが、これは局地的なものであった。セルジューク朝との講和で混乱から立ち直った東ローマはラリッサを包囲したノルマン軍を追い払うことに成功した。間もなくロベルトも病死したため、ノルマン人と東ローマは講和が成立し、ノルマン人は撤退していった。