アンドレア・ストラマッチョーニ(Andrea Stramaccioni、 1976年1月9日 - )はイタリア・ローマ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現アル・ガラファ監督。
来歴
現役時代のポジションはディフェンダー。ロムレアの下部組織で育ち、1990年にボローニャのプリマベーラに移籍する。1994年、イタリア国内の若手が集うトーナメント(トルネオ・チッタ・ディ・ヴィニョーラ)では最優秀選手賞に輝き、将来を嘱望された[1]。しかし同年にプロ契約を結ぶ直前、セリエCコッパ・イタリア、エンポリ戦に出場するも、試合中に相手選手と衝突。右膝半月板と靱帯に大ケガを負い、選手生命を絶たれた。
約6年間のブランクを経た2000年、USラティーナ・カルチョの下部組織で指導者としてのキャリアをスタートさせる。ASローマの下部組織では6年間在籍し、その間に3つの異なるカテゴリーを指導して2度の優勝に導いた[2]。
これらの成功によってローマは育成部門の最上位、プリマベーラの監督への昇格を検討したが、クラブはアルベルト・デ・ロッシ(ローマMFダニエレ・デ・ロッシの父親)を続投させた。
2011年にインテル・プリマヴェーラの監督に就任。2012年3月25日、U-19世代のチャンピオンズリーグに相当するNextGen シリーズの決勝でアヤックス・アムステルダムを下して優勝[3]。
その翌日の3月26日、成績不振により解任されたクラウディオ・ラニエリの後任として、トップチームの監督に電撃的に昇格した[4]。
就任後の9試合で5勝2分け2敗とチームの建て直しに成功すると、翌年のUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した[5]。マッシモ・モラッティ会長がミラノダービーでの勝利を評価したこともあり[6]、シーズン終了後に契約を更新し、2015年までの3年契約を結んだ[7]。
2012-13シーズンは序盤はユヴェントスの無敗記録を49で止めるなど順調だったが、負傷者続出などもあり最終順位は9位という成績に終わった。シーズン終了後、解任が決定した。
2014-15シーズンからは、フランチェスコ・グイドリンが退任したウディネーゼ・カルチョの監督に就任することとなった。チームは16位と低迷し、シーズン終了後に解任された。
2015年11月8日、パナシナイコスFCと2年半の契約を交わし監督に就任[8]。11月22日に行われたオリンピアコスとのギリシャ・ダービーで初めて指揮を執った。
2017年5月28日、ACスパルタ・プラハの監督に就任した[9]。チェコ1部リーグで外国人が監督を務めるのはこれが4人目となった。2018年3月6日、成績不振によって解任された。
指導歴
監督としての成績
タイトル
指導者時代
- インテルナツィオナーレ・ミラノ
- NextGen シリーズ:1回(2011-12)
脚注
- ^ この大会では過去にパオロ・ロッシ、マンチーニ、ブッフォンといった後の名選手も参加している。
- ^ “ローマ育ち インテル・ミラノ、ストラマッチョーニ監督は来季も続投できるか!?”. スポーツニッポン (2012年5月4日). 2012年8月23日閲覧。
- ^ 若きインテルの悩み。この2年間で極度のスランプに直面した“元王者”の進むべき道とは SoccerKing 2012年07月18日
- ^ インテル、ついに監督交代 ラニエリ退任 - Goal.com 2012年3月27日
- ^ インテル、ストラマッチョーニとの契約延長を正式発表 goal.com 2012年6月5日
- ^ モラッティ、ストラマッチョーニ続投を決断? - livedoorスポーツ 2012年05月08日
- ^ ストラマッチョーニ氏がインテルの正式監督に - UEFA.com 2012年6月5日
- ^ パナシナイコス、ストラマッチョーニ氏の新監督就任を発表 - 超ワールドサッカー 2015年11月9日
- ^ 元インテルのストラマッチョーニ氏、悩める名門の新監督に - スカパー! 2017年5月29日