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アントワープ証券取引所

アントワープ証券取引所オランダ語: Handelsbeursハンデルスブルス)は、ベルギーアントワープにある証券取引所である。歴史上初めて商取引先物取引)を目的に設立された。アントウェルペン証券取引所とも表記される。株式や債券が現れる前に設立された建物なので、厳密に言えば初めから証券取引所だったわけではない[1]

16世紀のアントワープ取引所
アントワープ証券取引所 1886年
ネーデルラント内のアントワープの位置(赤)。

初代の建物は1531年に完成したが、時勢により17世紀には取引所の機能を停止していた。のちに建物が再建され、1872年から1997年まで証券取引所として使用された。のちに建物は修復され、娯楽施設になり(アントワープ見本市)(英語版)と呼ばれるイベントが開催された。

アントワープ取引所は、ロンドン王立取引所(英語版)など、ヨーロッパ各地の取引所設立に影響を与えた[2]

歴史

15世紀、ハプスブルク領ネーデルラントアントワープは、衰退したフランドルブルッヘの(取引所)に変わってヨーロッパの金融・貿易拠点となった。10万人以上が居住する大規模な都市に発展したが、居住者のうちの外国人の定住商人約1万人は、ほとんどがスペイン人ポルトガル人であった。

1531年、それまでの取引所が大通りの交差点正面に移転した。新しい建物の中心部はオープンスペースの長方形の広場(中庭)であり、四方の城壁状の部分に並んだ展示室が、その中庭をぐるりと取り囲む様式であった。ここでは商品それ自体よりもその受領書、さらに、為替手形、預金証書、各種の公債などの証書が取り引きされていた。

当時のアントワープはカール5世の領地であったが、1531年に完成した初めの建物は後期(ブラバント・ゴシック様式)(英語版)で、建築家(ドミエン・デ・ワーゲマーケレ)(オランダ語版)[注釈 1]の設計であった。長方形の中庭が星紋様の柱列と網状のアーチに囲まれたものである[3]。天井にあたる部分には八角形の筒型の外郭を持った「仏塔タワー」(pagoda towers)が聳えており、そこから港湾の商船を眺めることができた。

この取引所は、1583年に火災に遭った後は、すぐさま同じ場所に同じ設計で再建された[4]

しかしオランダの宗教改革八十年戦争の影響を被り、1576年の(アントワープの略奪)(英語版)、1585年の(アントワープ陥落)(英語版)になど重なる戦災によって都市が破壊され、ヨーロッパの貿易拠点という輝かしい地位は1602年には、オランダ東インド会社がアムステルダムに設立したアムステルダム証券取引所に譲らざるを得なくなった。

したがって、1661年から1810年のあいだは、建物は別の用途に使用されていた。一時的に製図学校であったり、芸術家たちの聖ルカ組合の拠点であったりした[5]

19世紀に入り、1853年には建築家(チャールズ・マルセリス)(オランダ語版)がロンドンの水晶宮の例に倣い、中庭の上に天蓋を追加した。

1858年、アントワープ証券取引所は再び火災で崩壊した。そこでアントワープ市当局がコンペティションを2度に渡って開催し、伝統的なレイアウトを継承した案が採用された。

現在のネオ・ゴシック様式の建物は、建築家(ジョセフ・シェード)(英語版)設計で1872年に完成したものである。内装仕上げに金属の構造材が使用されるなど、革新的な技術が使われている。

現在の建物は1872年から1997年までは、アントワープ証券取引所(名実ともに証券取引所)として活用されたが[6]、1997年には合併先のブリュッセル証券取引所に業務が吸収されたため閉鎖された[5]。その後、業務はユーロネクスト・アムステルダムに移動した。

取引所の閉鎖のため建物は役割を失い打ち捨てられたが[7]、2000年代に入って再利用計画が持ち上がった。レストランやホテルやコンサートホールや回廊が併設されたイベントホール「ハンデルスブルス」として、当初は2019年10月オープン予定であったが[8]、2020年の初めにオープンした[9]

影響

 
ロンドンの王立取引所
 
アムステルダム証券取引所
 
フランスのリール証券取引所
 
ロンドンのハイドパークの水晶宮

アントワープは長年ヨーロッパの貿易の中心地だったため、この取引所の設計は、同様の計画を持つ他の都市にとっては模範となった。

在アントワープのイギリス王室金融代理人の貿易商トーマス・グレシャムも、イギリスでの取引所の設立を指揮するにあたり、このアントワープ取引所を参考とした。中庭の周囲に展示室を配するコンセプトは、アントワープ出身の建築家(ハンス・ヘンドリック・ファン・ペッシェン)(英語版)が設計したロンドン王立取引所に取り入れられた。

1565年の設立当初、ロンドン王立取引所の呼称も「ブルス」(フランス語: Bourse、取引所の意味)であった。ただこの名称は、1570年1月23日にエリザベス1世が訪問した際に変更され、英語で「王立取引所」(Royal Exchange)と呼ばれるようになった[10][11]

オランダでは、1592年にミデルブルフ取引所、1595年にはロッテルダム取引所が設立された。1602年にはオランダ東インド会社 (Verenigde Oostindische Compagnie, "VOC") によってアムステルダム証券取引所が設立され株式債券、また初めて有価証券が取引されるようになった(ユーロネクスト・アムステルダムの前身)。1903年に建築家ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ設計の建物に建て替えられ(ベルラーヘ証券取引所)(英語版)とも通称された。

また北フランスのリールにある証券取引所(Vieille Bourse、ジュリアン・デストレ設計)のモデルでもある[12]

脚注

出典
  1. ^ “Antwerp Bourse--World's Oldest--Closes” (英語). Los Angeles Times. (1997年12月31日). ISSN 0458-3035. https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1997-dec-31-fi-3623-story.html 2019年3月22日閲覧。 
  2. ^ “Royal Exchange, London”. www.walklondon.com. 2019年3月22日閲覧。
  3. ^ J. Denucé, "De Beurs van Antwerpen, oorsprong en eerste ontwikkeling, 15e en 16e eeuwen", Antwerpsch Archievenblad. Antwerpen, Dienst der Stadsarchieven, 1931, pp. 80-145.
  4. ^ Joey De Keyser (2007), De visie van vreemdelingen op de Zuidelijke Nederlanden in de late middeleeuwen en de renaissance, Masterproef Universiteit Gent
  5. ^ a b Fiche Handelsbeurs (ID: 6243); Inventaris van het Bouwkundig Erfgoed. Consulted 28 Feb. 2014.
  6. ^ 青木徹二 1905, p. 321.
  7. ^ Handelsbeurs lijdt onder extreme verwaarlozing, (Gazet van Antwerpen), 10 June 2011.
  8. ^ Antwerpen moest vijftien jaar wachten, maar daar is de Handelsbeurs weer in volle glorie, (Gazet van Antwerpen), 4 October 2019
  9. ^ “New Exchange Handelsbeurs”. Visit Antwerp (2020年). 2020年4月7日閲覧。
  10. ^ British-history.ac.uk: Old and New London: Chapter XLII, The Royal Exchange (Walter Thornbury, 1878)
  11. ^ エイミー・バトラー・グリーンフィールド 2006, p. 1.
  12. ^ Sonja Anna Meseure (1987), Die Architektur der Antwerpener Börse und der europäische Börsenbau im 19. Jahrhundert, Scaneg, München
注釈
  1. ^ 1460年アントワープ生まれ、1542年没。父も建築家で(ヘルマン・デ・ワーゲマーケレ)(オランダ語版)

参考文献

  • 大阪府立中央図書館. “1531年にベルギーで世界初の商品取引所が開設された内容が知りたい”. 国立国会図書館. 2012年2月14日閲覧。
  • 青木徹二『海商法論』有斐閣、東京、1905年。"1860年ヨークに、1862年ロンドンに、1864年グラスゴーに於て、各国の船主、保険者、法律家及び海損清算人等合会してヨーク規則を作り、後1877年アントワープに於てヨーク、アントワープ規則を決議し」「卷末附録ヨーク、アントワープ規則の原文及び訳文"。 
  • エイミー・バトラー・グリーンフィールド 著、佐藤桂 訳『完璧な赤 -「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』2006年。 

関連項目

外部リンク

  • ハンデルスブルズの建物 - ハンデルスブルズ
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