トニーニョ(Toninho)こと、アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ(Antônio Benedito da Silva、1965年3月23日 - )は、ブラジル・サンパウロ州カンピーナス出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード、攻撃的ミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
本名 | アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ Antônio Benedito da Silva | |||||
ラテン文字 | Toninho | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1965年3月23日(58歳) | |||||
出身地 | カンピーナス[1] | |||||
身長 | 186cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1983-1984 | キンゼ・デ・ジャウー | |||||
1985-1990 | ポルトゥゲーザ | |||||
1990-1991 | グアラニFC | |||||
1991 | CRフラメンゴ | |||||
1991-1992 | 読売クラブ | 22 | (18) | |||
1992-1996 | 清水エスパルス | 79 | (37) | |||
1995 | → 浦和レッドダイヤモンズ (loan) | 26 | (6) | |||
1996 | CRヴァスコ・ダ・ガマ | |||||
代表歴 | ||||||
1989 | ブラジル | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 (■テンプレート)((■ノート) ■解説)■サッカー選手pj |
略歴
16歳のときにキンゼ・デ・ジャウーでデビューし、17歳のときにポルトゥゲーザに移籍[1]。1989年にはブラジル代表に招集され、3月15日にあったエクアドル代表との親善試合で1キャップを記録した。その後はグアラニとフラメンゴに在籍[1]。
1991年夏に日本の読売クラブ(現 東京ヴェルディ)に移籍。デビュー戦となったJSLカップの中央防犯戦での5ゴールをはじめ[2]、同大会で10ゴールを挙げて読売クラブの優勝に貢献した[1]。JSLの最終シーズンとなった1991-92シーズンには18得点を挙げ得点王に輝いた[3]。
1992年、4月12日のゼロックスチャンピオンズカップ決勝のトヨタ自動車戦では、三浦知良の先制ゴールをアシスト、更に決勝ゴールを決めて優勝に貢献した[4]。しかしその後、ヴェルディからの契約延長要請を固辞して[2]、清水エスパルスに移籍、ポジションはFWではなく攻撃的なMFを務めた。1993年は開幕戦となった横浜フリューゲルス戦から3試合連続ゴールを決めるスタートを切るも、負傷のためほぼ1年棒に振った[5]。翌1994年の前期はクラブ史上初のハットトリックを決めるなど[2]、16得点を挙げチームは優勝争いに絡んだが、シジマールの負傷もあり終盤で失速した。一方で、後期はロベルト・リベリーノへの監督交代劇もあり精彩を欠いた。1995年のサントリーシリーズでは、堀池巧や長谷川健太が序盤で負傷し戦線を離脱。そのためチームは低迷していたがトニーニョは11得点を挙げる働きを見せた。同シリーズ終了後、外国籍選手枠の関係で浦和レッズに期限付き移籍し、監督のホルガー・オジェックの発案でディフェンダーも務めた[2]。1996年には清水に復帰したが、同年に監督に就任したオズワルド・アルディレスは、フェルナンド・オリバを主軸に据えていたため目立った活躍は出来なかった。トニーニョとオリバは定位置が同じく1.5列目であるため、トニーニョは必然的に出場機会が減少した。
エピソード
自らの得点時に飛行機ポーズをとることで有名だったが、浦和時代には親会社(三菱自動車工業)が自動車会社である事から自動車ポーズをとった[2]。
父親のダ・シルバはコリンチャンス、ヴァスコ・ダ・ガマなどでプレーした元ブラジル代表選手であり[1]、実弟のソニー・アンデルソンもFCバルセロナ、ASモナコなどの欧州のクラブに在籍した元ブラジル代表FWである[6]。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | (リーグ杯) | (オープン杯) | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1985 | ポルトゥゲーザ | ||||||||||
1986 | |||||||||||
1987 | |||||||||||
1988 | |||||||||||
1989 | |||||||||||
1990 | グアラニ | ||||||||||
フラメンゴ | |||||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1991-92 | 読売 | 20 | JSL1部 | 22 | 18 | 5 | 10 | 5 | 0 | 32 | 28 |
1992 | 清水 | - | J | - | 11 | 3 | 2 | 1 | 13 | 4 | |
1993 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | |||
1994 | 44 | 22 | 0 | 0 | 1 | 0 | 45 | 22 | |||
1995 | 25 | 11 | - | - | 25 | 11 | |||||
浦和 | 26 | 6 | - | 2 | 0 | 28 | 6 | ||||
1996 | 清水 | 4 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | ||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | ヴァスコ・ダ・ガマ | ||||||||||
通算 | ブラジル | ||||||||||
日本 | J | 105 | 43 | 14 | 3 | 5 | 1 | 124 | 47 | ||
日本 | JSL1部 | 22 | 18 | 5 | 10 | 5 | 0 | 32 | 28 | ||
総通算 |
その他の公式戦
タイトル
参考文献
- ^ a b c d e 「THE FOOTBALLER トニーニョ」『サッカーマガジン』 1993年7月8日号 NO.419、ベースボール・マガジン社、140-143頁。
- ^ a b c d e “第82回 日本リーグ最後の得点王”. www.ninomiyasports.coml results. 2020年6月6日閲覧。
- ^ “1991年JSL最終成績”. japan football results. 2013年9月6日閲覧。
- ^ ストライカー (雑誌) 1992年6月号 学研 p.6-9
- ^ 週刊サッカーマガジン 1994年3月23日号 no.447 p.16-19 ベースボールマガジン社
- ^ “第83回 トニーニョが感じたブラジルと欧州の違い”. www.ninomiyasports.coml results. 2020年6月6日閲覧。
関連項目
外部リンク
- アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ - National-Football-Teams.com (英語)
- アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ - FootballDatabase.eu (英語)
- アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ - WorldFootball.net (英語)
- アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ - J.League Data Siteによる選手データ