アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ダルゴムイシスキー[注釈 1]ロシア語: Алекса́ндр Серге́евич Даргомы́жский;英語: Aleksandr Sergeevich Dargomizhskii、1813年2月14日 - 1869年1月17日)ロシアのオペラ作曲家。音楽史的にはグリンカと「ロシア五人組」やチャイコフスキーの間を橋渡しした人物である。ほかに、歌曲やピアノ曲をふんだんに作曲したほか、多少の管弦楽曲もある。
人物略歴
名門貴族の家に生まれ[1]、サンクトペテルブルクで教育を受ける。早くから才能あるアマチュアとして名声を博し、当初はサロン音楽の分野で有名であったが[1]、1833年、ミハイル・グリンカに出会い、作曲に打ち込むよう激励を受けた[注釈 2]。ダルゴムイシスキーは、ロシア的な音楽の創造をめざすグリンカの影響で、意識的にロシア語のイントネーションを音楽化する方法を研究し、その成果はかれの作曲した歌劇・オペラ作品に活かされた[1]。
音楽と作品について
1839年にヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダムのせむし男』に基づく歌劇《(エスメラルダ)》を作曲した。彼の代表作となる歌劇《(ルサルカ)》は1856年に上演された。ここでは、ロシア語を音楽化するという研究が実を結んでいる[1]。しかし、1860年代まで国内外でなかなか成功しなかったといわれる。ただベルギーでは、彼の作品の評判は好意的なものであった。
アレクサンドル・セローフは1856年に『ルサルカ』に好意的な批評を寄せ、プーシキンのテクストと音楽が緊密な関係を保っているために、歌手が実際にロシア語をしゃべっているように聞こえると評した。その後ダルゴムイシスキーの開く夜会には、後にロシア5人組として知られるようになるモデスト・ムソルグスキー、ミリイ・バラキレフ、ツェーザリ・キュイらが常連として集まった[2]。1860年代にダルゴムイシスキーはロシア5人組の長老的存在となった。代表作となった最後の歌劇《石の客》は、レチタティーヴォ風ないしは(デクラメーション)風の旋律形成によって、ムソルグスキーやドビュッシーの先駆となっている。第1幕の幕切れとオーケストレーションが未完成のまま遺されたため、キュイやリムスキー=コルサコフの手により補完された。《石の客》は1872年に初演され、オペラ表現に進歩的な姿勢を示すものとして、五人組から大いに激賞されたものの、未完のためもあって、こんにちオペラの標準的なレパートリーとして演奏されることはほとんどないのが実情である。
参考文献
脚注
注釈
- ^ 力点を入れた読みに従った日本語表記は「アリクサーンドル・セルゲーィエヴィチ・ダルガムィーシュスキイ」のようになる。また姓は「ダルゴムィシスキー」、「ダルゴムイジスキー」とも表記される。
- ^ グリンカはイタリアやドイツで音楽を積極的に学ぶ一方、そのなかでロシア人音楽家を自覚するようになり、帰国してロシア的な作品の数々を発表し、後代に大きな影響をあたえた。森田(1996)p.130
出典
- ^ a b c d 森田(1996)pp.130-131
- ^ Walsh, Stephen (2013). Musorgsky and His Circle: A Russian Musical Adventure. New York: Alfred A. Knopf. pp. 44-46. ISBN (9780385353854)
外部リンク
- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Dargomijsky, Alexander Sergeivich". Encyclopædia Britannica (英語). 7 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 832.