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アフリク・シモーネ(Afric Simone、1945年7月17日 - )とはモザンビーク出身の歌手、音楽家、エンターテイナーである。
1975年に最初のヒット"Ramaya"でヨーロッパのチャート入りし、もう一つのよく知られた歌"Hafanana"(1975年)に続いた。1975年から1980年まで鉄のカーテンの両側で非常に人気を集め、東側諸国のソビエト連邦、ドイツ民主共和国、チェコスロバキアをツアーした。
略伝
ブラジル出身の父とモザンビーク出身の母との間にブラジルで生まれたが、9歳の時(父の死後)に母とモザンビークの首都であるロウレンソ・マルケス(つまり現在のマプト)へ移らざるを得なかった。一度、マプトのステージに立った時には、マネージャーからロンドンに来るよう頼まれた。
ロンドンにおける最初のショービジネスのステップとして、他のヨーロッパ諸国の首都での出演で貴重な経験を集め、ギグをヨーロッパ全土で行う経験を持った。幸運にも、フランスのレコード大君である(エディ・バークレイ)がパリでのショーに訪れ、皆はすぐに契約書にサインした。
言語はドイツ語、英語、ポルトガル語、フランス語、アフリカ諸語を話すが、歌はスワヒリ語と他の言語のミクスチュアで書かれている。このアイデアは、結果的に自身の母語とヨーロッパのハッピーなサウンドをミクスチュアする結果となった。
近年はモスクワで出会ったロシア人の妻と共にドイツ(ベルリン)に定住し、フランス、イタリア、ドイツ、リトアニアのテレビ番組に出演している。
ディスコグラフィー
シングル
- 1975 - (Ramaya/Piranha) (Barclay, BRCNP 40066)
- 1976 - (Hafanana/Sahara) (Barclay, BRCNP 40072)
- 1976 - (Aloha-Wamayeh / Al Capone) (Hansa, 17 586 AT)
- 1977 - (Maria Madalena/Aloha) (Barclay)
- 1977 - (Playa Blanca/Que Pasa Mombasa) Musart, MI 30387
- 1978 - (Playa blanca/Marabu) (Barclay)
- 1980 - (China girl/Salomé) (Barclay)
「China girl」は日本で、長沢ヒロ率いるバンド「HERO」(英雄)によってカバーされ、ジャッキー・チェン主演映画『拳精』の日本公開版イメージソングとして使われた。
アルバム
- 1976 - (Ramaya) (Barclay, 70024)
- 1977 - (Afric Simone) (Barclay)
- 1978 - (Afric Simone 2) (Barclay)
CD
- 1989 - (Best of Afric Simone) (re-edition 2002 with bonus tracks)
外部リンク
- Biography